2008年の西武コーチ時代に選手への暴力行為などが咎められ、解雇を通告されたデーブ大久保が、2012年から楽天打撃コーチに就任する。なぜ大久保は、解雇からわずか1年あまりで再びユニフォームを着ようと思ったのか? ルポライターの高川武将氏が追った。
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デーブが野球界と縁を切ろうと思ったのは、2010年夏のことだ。7月22日、西武球団から突然、呼び出される。「何だろう、二軍が弱いから監督でも頼まれるのかな」。そんな軽い調子で球団事務所に向かったデーブを待っていたのは、青天の霹靂といえるものだった。打撃コーチ解任とひとまずの自宅謹慎命令。
既に週刊誌やスポーツ紙などで大きく報じられているので詳しく経緯を綴ることは避けるが、球団が発表した事実としては、ドラフト1位で入団まもない菊池雄星に対する指導が行き過ぎていたというものだった。デーブは誤解を解こうと説明したが、球団からは1週間後、解雇を通告される。
シーズン当初から故障で投球練習もできないのに夜遊びが過ぎていた雄星に対して、デーブは何度か注意した。
「俺も自分のことで優勝に水を差したんだ。お前は名前がある。チームに迷惑をかけたら、苦しむのはお前なんだよ。プロっていうのは、日本刀をもって、真剣に切り合うのと同じ世界なんだぞ」
だが、そうした忠告に反抗的態度をとった雄星に対して、胸ぐらをつかんで座らせ、厳しく説教をしたことがあった。デーブは振り返る。
「俺は家族だと思って、息子だと思って接してきたんだけど。この子は、ピッチングか人生かわからないけど、自分で打たれないと変わらない、もったいないなと思いましたね。
でも、睨んでくるのは、大人しい選手が多い中で、こいついい根性してるなとも思いましたよ。雄星には何の恨みつらみもない。ただ、それがまさか、解雇になるとは……」
※週刊ポスト2012年1月13・20日号