1月12日に発売される『あんぽん 孫正義伝』(小学館刊)。著者の佐野眞一氏は、同書のなかで、孫正義氏と大手家電販売店・ラオックスとの関係について言及している。まさに、ラオックスとの付き合いが孫氏が代表を務めるソフトバンクを急成長させた原動力となったというのだ。(文中敬称略)
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ソフトバンク急成長の原動力となったのは、大手家電販売店のラオックスとの取引だったという。
「孫さんは当時ラオックスの副社長だった内田(喜吉、その後社長)さんに、ソフト販売の専門売り場をつくることを持ちかけたんです。その頃のコンピュータソフトは、パソコン売り場の片隅に申し訳程度に置かれていましたが、孫さんはソフト売り場の独立を内田さんに訴えたのです。
内田さんは孫さんの提案を受け入れて、ソフトを独立した売り場にした。これが当時としては珍しさも手伝って、大繁盛となったんです。ソフトバンクがラオックスに卸すソフトの売り上げだけでも数百億円ありましたからね。両社にとって大成功だったんです」
ソフトバンクの元販売責任者は、孫が会議でこんなことを言ったのをいまでも覚えている。
「これから数字の単位を使うときは、“億”ではなく“兆”を使おう」
こういう話を聞くと、孫正義は父親の三憲によく似ているなと思う。そしてこうした“大風呂敷”が、孫正義にうさんくさいイメージを付着させ、孫正義嫌いを必要以上に増やしている。
「まだ年間売り上げが二千億円の頃ですよ。孫さんはいつもはるか先を見ながら走っているんです。だから孫さんの決断は早い。決めたとなると、すぐに動き出す」
ラオックス元社長の内田にも会って話を聞いた。
「孫正義さんと知り合ったのは、八〇年代の半ばです。孫さんはまだ三十代の若者でした。それほど特別な関係だったというわけではありません。ソフトバンクが扱うソフトを、うちの売り場が仕入れただけです。
ただ、私はなぜか孫さんのことが最初から気になって仕方がなかった。なんていうのかなあ、孫さんだけはほかの取引相手と違って、全然スケール感が違うような気がしたんです。いつの間にか孫さんの人柄に惚れてしまったんですね」
孫は内田とよく一緒に食事に行った。そんな席でも孫はアメリカのIT業界のことや、コンピュータ産業の未来のことしか語らなかったという。
「目の前に新鮮な刺身があっても、すき焼きの肉がいい具合に煮えていても、全然箸をつけない。とにかく喋りつづける。僕は腹がへって仕方がないから、すぐにでも箸をつけたいのに、いつもそれを許さないような感じだったから、イライラしたもんです(笑)。
でも、そんな孫さんが僕は好きでね。自然に肩入れしちゃったんだ。ほかにいくつも取引している会社はあったけど、ソフトバンクのシェアばかりがどんどん増えていった(笑)。僕は秋葉原しか見ていなかったけど、孫さんは常に世界を見ていた。そこに僕なりの感動を覚えていたんですよ」
九〇年にラオックスが『コンピュータ館』を立ち上げたのも、孫からのアイディアだった。ここには、ビル・ゲイツも訪ねてきたし、海外のパソコンメーカーの社長たちも、日本出張の際には必ず足を運んできた。
(『あんぽん 孫正義伝』より抜粋)