今や正月の風物詩としてすっかり定着し、毎年大人気の箱根駅伝。平均視聴率は27%にも例年達する。そんな箱根駅伝にとって大きな転機となったのは1987年、日本テレビによるテレビ中継の開始だった。
当時、すでにマラソン大会の中継番組はあったが、マラソンより距離が数倍も長い駅伝中継は皆無。ここでもポイントとなったのは山登りの5区だった。
箱根駅伝はフルマラソンの5倍の距離があり、5区では湾曲した山道が続く。生中継をするには電波を送受信する中継スポットを山地に複数設置する必要があり、当時の技術では至難の業だった。
それでも日テレは、スタッフ700人、カメラ60台を投入して中継を強行。最大の見せ場である5区の山越えを臨場感豊かにライブ中継し、予想を上回る19%超の視聴率を記録した。
当時を知る日テレOBが語る。
「社内でも『関東の学生が走っているだけで数字は取れない』『中継が途切れて、放送事故があったらどうする』と反対の声が大きかったんです。しかし、制作サイドは折れなかった。どうしても映像が送れず、放送が途切れてしまう場所に差し掛かった場合、事前に録画した箱根駅伝の過去エピソードを流すなどの案を提示して上司を説得したんです」
87年の中継開始から実況に携わり、メインアナウンサーを務めたこともある元日テレアナウンサーの山下末則さんがいう。
「最初は苦労したけど、数字を取って社内的にも認められました。箱根人気にテレビが果たした役割は大きかったと思います。3年目から中継スポットを増設して電波を途切れさせることなく完全中継できるようになり、視聴率は20%を超えるように。長嶋茂雄さんに『箱根駅伝は国民的行事になりましたね』といわれたときは、本当に嬉しかったですね」
スタッフの熱意も相当なものだ。箱根を伝えるアナウンサーには必ず“ある試練”が与えられるという。
「初めて中継に参加する男性アナウンサーは、基本的に大手町のスタート地点から箱根の往路ゴールまでの109kmすべてを歩きます。中継に備えて5km地点はここ、20kmはここだと体に刻み込むんです。
1年目から番組に恵まれて華やかな仕事をしたアナウンサーでも、箱根駅伝ではコツコツと縁の下の力持ちをこなしているんです」(山下さん)
※女性セブン2012年1月19・26日号