多くの風評被害をもたらした福島第一原発事故。その原因のひとつとして、政府が発表する放射線量の数値に振り回される日人が多かったことを挙げるのが、俳人・金子兜太氏(92)だ。天災に立ち向かうために、日本人はどうあるべきか――金子氏が語る。
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昨年の日本は東日本大震災とそれに伴う原発事故に尽きます。3月11日のその瞬間、私は朝日俳壇の選句のために朝日新聞社にいました。車で埼玉・熊谷の自宅に帰る途中、気になったのは自転車を買う人がたくさんいたことです。
他の人のことを考えれば「借りる」という選択肢があってもいいはず。金さえ払えば何をしてもいいという自己中心的な風潮が日本全体を覆っていることを実感した思いでした。
だからといって、「昔の日本はよかった」などというつもりはありません。敗戦直後の日本人は徹底して自分勝手な面が強かったし、他人に対して極めて荒っぽかった。極端にモノが少ないために余裕がなく、生きていくだけで精一杯だったこともむろんです。
残念なことに戦後60年余で日本人の人間性が向上したとは思えないのも事実です。こんなことをいうとこれまたぶん殴られるかもしれませんが、モノが足りて、目先の心配がないという安心感があるから優しくなれた面もあるのではないでしょうか。そんな日本人の優しさ、甘さに乗じているのがメディアです。「頑張ろう日本」というかけ声を耳にしたり、昨年の漢字が「絆」だと聞くと、まだまだ思惑を感じてしまいます。
そもそも日本人の優しさには、自主性の欠如による面もあると考えるべきです。平成の世であっても官尊民卑の文化がいまだに根強く残り、事大主義がはびこっている。福島の原発事故では、多くの人が政府の垂れ流す放射能の数値に振り回され、甚大な風評被害を生みました。大本営発表を鵜呑みにして、自らの頭で考えることをしなかった戦時中とほとんど変わっていないということです。
新しい年を迎え、日本人が取り組まなければならないのは、自己判断できる力を養うこと、といえるでしょう。
●金子兜太:1919年、埼玉県生まれ。東京帝国大学経済学部卒業。1943年に繰り上げ卒業し日本銀行に入行。海軍主計中尉としてトラック島に従軍。1947年に復職後、1962年、同人誌『海程』を創刊。1988年、紫綬褒章。2010年、菊池寛賞を受賞。
※週刊ポスト2012年1月13・20日号