今年の箱根駅伝(1月2~3日)では、東洋大学が2年ぶり3度目の総合優勝を果たした。大会MVPには“山の神”の異名を持つ東洋大学4年・柏原竜二選手(22)が選ばれた。
箱根駅伝の5区は距離が最も長く、しかも、冬の厳しい寒さの中、箱根の山を越えるという超難コース。その5区で柏原選手は4年連続区間賞、さらに3度も区間新記録を樹立という圧倒的な強さを誇ってきた。
だが、そんな彼も今年ばかりは、例年以上のプレッシャーがあったという。なぜなら“ある特別な思い”を胸に抱えていたからだった。約2万人もの死者行方不明者を出した東日本大震災。柏原選手の地元、いわき市でも300人以上が亡くなり、7600棟の建物が全壊した。柏原選手の母・次枝さんが振り返る。
「家そのものは倒れませんでしたが、傷んだり壊れたりと大変でした。近くのスーパーでは食べ物が売り切れたりと、不安ばかりが募っていきました」
また福島原発から40kmしか離れていないこともあり、家族は一時、関東地方に避難したこともあった。柏原選手が実家に帰ることができたのは、震災から5か月が経った、昨年8月のことだった。まだ瓦礫は残ったままで、中学や高校時代に走った自宅周辺のランニングコースが一変していた。
「地震の直後から竜二はかなり心配して、何度もメールや電話をかけてきてくれました。“こんな状況のときにおれ、走っていいのかな”なんて弱音を吐いたこともありました」(次枝さん)
そんな迷いが走りにも表れたのだろうか、昨年10月、島根県で開かれた出雲全日本大学選抜駅伝では区間順位21人中6位と低迷した。箱根駅伝に向けて不安説も囁かれる中、柏原選手が立ち直るきっかけをつかんだのは、11月に地元で開かれた市町村対抗駅伝『ふくしま駅伝』という小さな大会だった。
「柏原選手みたいな有名選手が出るのは珍しいんですが、“走ることで誰かの役に立ちたい”と自ら出場志願したそうです」(地元の陸上関係者)
柏原選手は、いわき市チームとして出場。地元の中学生や自営業者などのメンバーとともに優勝を飾り、喜びをわかちあった。このとき、柏原選手は、「逆に自分の方が勇気づけられた。走ることで地元に恩返しをしていきたい」と話していたという。
そして迎えた箱根駅伝。偉業を達成した“山の神”は、走り終えた直後のインタビューでこう答えた。 「ぼくが苦しいのはたった1時間ちょっとなんで、福島の人たちに比べたら全然きつくなかった」
そのたった1時間の走りが、福島の人に、どれだけ元気を与えたことだろう。
※女性セブン2012年1月19・26日号