賛否両論巻き起こる中、TPP交渉への参加を決めた野田内閣。この判断は正しかったのか――1987年から1995年まで7つの内閣で官房副長官を務めた石原信雄氏(85)が、牛肉・オレンジ自由化問題を抱えていた竹下登内閣と比較しつつ、野田内閣を評価する。
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鳩山・菅と続いた民主党政権が難しい舵取りを迫られる度に立ち往生してしまった原因は、政と官が一体で機能していなかったからです。もちろん政策の意思決定は選挙で選ばれた政権が責任を持つべきで、裏方の役人が政治家をリードしてはいけません。
しかし、鳩山内閣以後の民主党政権は、事務次官会議をやめて、政務三役がすべてを仕切る政治主導のスタイルを取っています。これでは官邸が時の政権の重要政策について、関係各省庁の隅々にまで号令をかけて浸透させることはできません。
本当の政治主導とは、官僚組織を徹底的に排除して叩くのではなく、政治家がそれぞれの分野に精通した官僚を手足のように使い、官僚が持っている知恵や能力を上手に引き出すことです。それこそ政治のひとつの手段であって、決して官僚依存ではないはずです。
官僚との信頼関係を巧みに築き、重要政策を次々と推し進めた政治家が竹下登元首相です。竹下首相は主管の旧大蔵省だけでなく、全省庁を巻き込んで消費税導入の理解を得る努力をしました。その際も、各分野を管轄する官僚たちの気持ちをうまく汲み取りながら、政策に協力するようにもっていきました。人心掌握術に長けた政治家でした。
牛肉・オレンジの自由化問題でもそうでした。竹下首相は農水省の官僚の立場も考えながら、日本の畜産農家が大きな影響を被らないよう、方々の説得に奔走。市場開放を求めるアメリカ側とは粘り強く交渉し、妥結する道を探りました。
そうした政治と官僚との信頼関係は、その後の細川内閣になってからも農業問題で発揮されました。1986年に始まった関税貿易一般協定・多角的貿易交渉(ガット・ウルグアイ・ラウンド)では、コメ市場の開放や関税撤廃論を主張するアメリカに対し、日本は農林水産次官に交渉役を一任し、当時の京谷昭夫氏らが国を留守にしながら第一線で交渉しました。その結果、最低限の輸入量を義務づけるミニマムアクセスで最終決着することができたのです。
竹下内閣が抱えていた消費税や農業問題は、奇しくもいまの野田内閣で再燃しています。野田首相は税と社会保障の一体改革を含めて消費税増税を明言していますし、関税・非関税障壁撤廃を原則とするTPPに参加する意思を表明し、各国と交渉のテーブルにつくことになりました。
もはや日本の財政は危機的状況で、増税問題は避けて通れません。農業の構造改革も待ったなし。そう考えると、野田首相の選択は間違っていないように思います。また、竹下内閣と同じように官僚組織をうまく利用しようと努力もしている点で評価できます。
●石原信雄:1926年、群馬県生まれ。1952年地方自治省(現総務省)に入り、1984年自治事務次官就任。1987年から1995年まで7内閣の内閣官房副長官を務めた。2006年より地方自治研究機構会長を務める。
※週刊ポスト2012年1月13・20日号