元オウム真理教の幹部で、約16年間逃亡していた平田信容疑者(46)が12月31日、警察に出頭し、翌日監禁致死の容疑で逮捕された。また、平田をかくまった元信者の斎藤明美容疑者(49)も犯人秘匿容疑で逮捕された。
二人は1995年11月からは仙台で過ごした。斎藤が仙台市内の割烹店で働き、店が借り上げているアパートで暮らした。
1996年2月、捜査員はようやくこのアパートの存在を突き止めたが、部屋に踏み込んだ時、斎藤の姿も平田の姿もそこにはなかった。ドアの上の磨りガラスには白い紙が貼られ、部屋のカーテンはすべて閉められていた。浴室の窓にも目貼りが施されるなど、外の世界との関係を完全に遮断した部屋には、2組の蒲団が残されていたほか、使用済みコンドームが見つかったという話もある。
斎藤は捜査員が訪れる数日前にアパートを引き払い、3か月勤めた割烹店に「一身上の理由で」とだけ電話で告げて辞めていた。わずかな差で取り逃がした捜査員たちは、2人の生活実態の解明が今後の捜査に不可欠として、周囲に徹底的な聞き込みをする。
近隣住民から得られた証言の中には、女性の一人暮らしだと思っていたその部屋から時折、男女の営みの声が聞こえた―というものまであった。周囲に気付かれまいと声を押し殺し、それでもなお漏れる2人の声を捜査員は“聴き”、姿なき平田を“見た”のである。
当時取材に当たっていたジャーナリストの吾妻博勝氏がいう。
「信者らの話を聞くと、斎藤は教育係として熱心に指導してくれた平田を好きだったようです。それでも当初、平田から『逃亡支援をしてくれないか』と頼まれた時は、一度は断わった。平田は当時、長官襲撃事件の犯人といわれていたし、とばっちりを受けたくなかったのでしょう。
その後、どういう心変わりがあったのかは分かりませんが、斎藤は平田と行動をともにするようになった。平田は彼女の好意をうまく利用して、逃亡生活に協力させたのでしょうが、すぐに男女の関係になった」
そして斎藤は、平田を捜す唯一の手がかりとして、警察にマークされ続けた。
「斎藤が実家に戻ったのは1995年10月29日が最後。出頭前日に実家に電話をして『私を見ていて』などと留守電にふきこむまでの間、斎藤から実家に連絡があった形跡はない」(捜査関係者)
家族との関係も完全に断ち切り、女は思いを寄せる特別手配の男との逃亡生活に身を投じていたのである。
※週刊ポスト2012年1月27日号