1997年に前立腺がんを宣告されて以来、手術を受けずに闘病を続けてきたプロゴルファー・杉原輝雄氏が、昨年12月23日にこの世を去った。その葬儀の様子を、ジャーナリスト・鵜飼克郎氏がレポートする。(文中敬称略)
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生前の杉原は折に触れてこう語っていた。「僕は60歳を過ぎた頃から死ぬ準備はできとる。家族には葬式は誰も呼ばんでええと伝えてある」。この言葉通り、12月30日に行なわれた葬儀は会場さえも公表されず、25人の親族だけでしめやかに営まれ、プロゴルファーからの献花は一切なかった。
棺に納まった杉原は白いハイネックにライトグリーンのセーター、ベージュのスラックスというゴルフウェア姿。「天国でもすぐにゴルフができるように」(長男でプロゴルファーの敏一)と愛用の帽子をはじめ、手袋、ボールマーク、レインウェアなどが納められた。また、用具契約を結んでいたデサントの来季の契約書も入れられた。
「オヤジが“いっぱい入れすぎや”と怒るかもしれません。何をしても怒られていましたから」
敏一はこう苦笑いする。何よりゴルフを優先した父親への素直な気持ちだった。祭壇には「パパが一番気に入っていた写真」と、玲子夫人が選んだ赤いブレザー姿で優しく微笑む杉原の遺影が飾られた。荼毘にふされる頃には、寒風に混じって小雪が舞い始めていた――。
※週刊ポスト2012年1月27日号