北朝鮮の金正日総書記の死後、初めて迎えた後継指導者・金正恩の誕生日は、意外なほど静かなものだった。1月8日当日に記念祝賀行事は一切行なわれず、ピョンヤン市内も閑散としていた。
金正日の死後間もないため、派手なイベントを自粛したのではないか、との見方が有力だが、一部の北朝鮮情報筋の間では、「金正恩が公衆の面前に姿を現わすことを恐れたのではないか」と指摘されている。
その見立ての根拠とされているのは、彼の後継としての地位を揺るがしかねないほどの「重大事件」が、金正日の死の直前に起きていたという情報だ。
事件の詳細を明かすのは、日本のある官庁で情報分析を担当する官僚だ。
「金正恩は、祖父である金日成の生誕百周年となる2012年を『強盛大国の大門を開く年』と位置づけ、それに向けて昨年来、ピョンヤン市内に大規模な高層住宅の建設を進めてきた。20階建て以上を含む高層住宅を次々と建設し、総数は10万戸にも上る計画だ。機械がなく人海戦術に頼るほかないため人手が足りず、周辺の農民のほか、ピョンヤン市内の大学生が大量動員されることになった」
金日成総合大学をはじめ、理科大学や外国語大学、さらには舞踊大学からも学生らが駆り出された。その間、それらの大学には休校措置が取られているという。
事件の発端は、この建設現場で起きた。学生たちが作業に不慣れなことに加え、建物の機材や資材が不足し、安全管理も不徹底だったことから、建設事故が多発したのだ。
特に昨年11月28日頃、金日成広場から北北東約900メートル、ピョンヤン冷麺で知られるレストラン「玉流館」付近で発生した事故では、足場の木材が大規模に崩落し数十人が死亡する大惨事となった。
「これをきっかけに、大学生らの不満が爆発した。建設現場で指揮していた政府の役人に労働環境の改善を訴える争議を起こし、騒動はなかなか収まらなかった。学生の一部が暴徒化したため、ついには朝鮮人民軍が出動し、武力鎮圧する事態となった。相当数の死傷者が出たとの情報がある」(同官僚)
収集された情報によれば、12月1日までに建設事故の死者数は累計200人以上、けが人を合わせた死傷者は600人前後にも上る。武力鎮圧による死傷者数は不明だが、「この600人のうちに相当数含まれている可能性もある」(同前)と見られている。
これが事実なら、かつて中国共産党を揺るがした天安門事件と同様のことがピョンヤンで起きていたことになる。この事件が指導部に与えた影響の大きさを、脱北支援関係者が語る。
「建設事故の情報は脱北者の間でもさまざま飛び交っていたが、暴動事件については第一報を聞いた後、情報が全く入って来なくなった。指導部による厳しい情報統制が敷かれているのではないか」
金正日が急死したのは、この事件の直後である。ただでさえ後継体制が整わない状態で、さらに民衆の中に「爆弾」を抱え込んだ金正恩が、自身の祝賀行事を控えたのは当然のことだったのかもしれない。
※週刊ポスト2012年1月27日号