前原誠司・民主党政調会長は、外相時代にロシアのラヴロフ外相と幾度となく会談している。そして2011年2月にその前原外相がロシア側に対し、「日本の法的立場を害さない前提での、北方領土における共同経済活動」を呼びかけた。度重なる会談で何が話し合われたのか。元外務省の主任分析官・佐藤優氏が切り込む。
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佐藤:当時の状況を振り返ると、前年(2010年)11月のメドベージェフ大統領による北方領土上陸があり、日露関係は悪化していました。訪露直前の「北方領土の日(2月7日)」には、菅首相がメドベージェフ大統領の国後島訪問を「許し難い暴挙」だと発言。誰もが前原訪露は失敗すると思っていた。しかし、そうはならなかった。
前原:佐藤さんがおっしゃるように、険悪なムードが予見されていましたが、私はダメージをマネジメントすると同時に、「前向きなメッセージ」を日本側から出す必要があると考えていました。モスクワに入り、ホテルで外務省が用意した会談のトーキングポイントを整理していましたが、どうも物足りなかった。
出発前から私は「共同開発を呼びかけたい」と事務方に告げていましたが、それが入っていなかった。ですから欧州局長とロシア課長、国際法局長、私の秘書官を呼んで、その提案をどう思うか聞いたところ、みんな賛同してくれました。そうしてラヴロフ外相への提案につながっていきます。具体的に言いますと、まず、「15分だけ2人きりで話す時間が欲しい」と打診しました。
――険悪なムードがある中で、どう打診したのですか。
前原:ロシア側も、マスコミや国民の目があるので、表面的には厳しいことを言いますが、実は何とか私をうまく迎え入れたいと思っていたのだと思います。その感触は外相会談の会場に着いた時の「迎え方」でわかりました。
佐藤:会場は、モスクワのアレクセイ・トルストイ通りにある迎賓館でしたね。2階建てのゲストハウス。
前原:そうです。そこに到着した時、ラヴロフ外相が1階の車寄せまで迎えに出てきたんです。2月のモスクワですから、気温は氷点下10度以下。握手をし、入り口の階段を一緒に上っていきました。そこで私は、「15分間だけ、2人きりで話をしたい」と呼びかけ、了解をもらったのです。
佐藤:会談会場の部屋がある2階では、メディアの記者たちが待ち構えていた。そこに入る前、2人で階段を上る一瞬の間隙を縫って、業界用語で言う「テタテ(tete-a-tete=一対一の会談)」に持ち込んだわけですね。
前原:ええ、通訳だけを交えた4人で15分か20分、食事の前に話をしました。そこで、「北方四島において、日本の法的立場を害さないという前提で、共同開発を呼びかけたいと思う」と言ったところ、ネガティブな反応はせず、「それについては少し考えさせてほしい」と返されました。その後、食事の時に肯定的な反応が得られましたので、恐らく何か相談をしたのだと思いますが。
佐藤:明らかにその短い時間の間に、プーチン首相、メドベージェフ大統領のところに至急の連絡を入れているはずです。ロシアでは、そういった会談の際に、トップにすぐに連絡がつく態勢をつくっていますから。会談はスムーズに進んだのですか?
前原:ラヴロフ外相も、2月7日の菅さんの発言があった後だけに、色んな球を投げてきます。例えば国連憲章を持ち出して、日本の北方領土領有権の主張は無効である、などと言うわけですが、いちいち反応はしません。最後に「今までの両国間の諸合意と法と正義の原則に基づいて解決をしよう」と言うだけです。
※SAPIO2012年1月18日号