2009年に東京、埼玉、千葉で起きた連続不審死事件。「平成の毒婦」木嶋佳苗被告をめぐるあまりにも「不審」で「不幸」な出来事。父親は車で崖から転落死、母親も交通事故で片脚切断、祖父が語っていた「500万円通帳窃盗事件」──。ジャーナリストの安田浩一氏がリポートする。
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木嶋を誰よりも溺愛した母親は現在、(もともと住んでいた)北海道・別海の中心部から離れた西春別の実家に引きこもっている。
母親とはインターホン越しに短いやりとりがあっただけだった。すべてにおいて「答えられない」と話す母親に、せめていまの心境だけでも聞かせてくれと頼んだ。ムキになったような声が返ってきた。
「親としては子どもを信じたいと思っています」
木嶋佳苗が上京したのは1993年4月である。木嶋はピアノ講師や介護ヘルパーなどの仕事を経験した後、2002年に千葉県松戸市のリサイクルショップ経営者と知り合い、同居する。出会いのきっかけは、やはりネットだった。
ケンブリッジ大学留学のために資金援助してくれる人を探している――情報サイトに掲載したメッセージに、リサイクルショップ経営者が食いついた。経営者は結果的に約7000万円もの大金を木嶋に貢いだ。しかし2007年、経営者は店舗2階の浴室で泡を吹いて死んでいるのが見つかった(死亡当時70歳)。これも木嶋が関係した「不審死」の一つとして話題になったが、千葉県警は「事件性なし」と判断。立件は見送られた。
木嶋の虚飾に満ちた生活が始まるのは、その直後からである。ブログに有名レストランでのグルメ体験を綴り、芸能人との出会いを吹聴した。そしてセレブを演じてネットで男たちに近づき、カネを吸い尽くし、ハルシオンで眠らせ、練炭で命を奪ったとされる。「小道具」はきわめて現代的である。その一方で、検察側の主張が事実とするならば、その貪欲なカネへの執着に、あまりにも泥臭い人間の業を思わずにはいられない。
〈3月から私は東京人となります。(略)ああ楽しみ楽しみっと〉
彼女は北海道別海高校の卒業アルバムへ、このようにも書き込んでいた。人より牛の数が多い田舎町で「浮いた存在」だった木嶋が、東京での生活を心底「楽しみ」にしていたことは間違いなかろう。彼女は東京で何を見て、何を失ったのか。公判の行方を注視したい。判決は4月13日にくだされる。
※週刊ポスト2012年1月27日号