創価学会という宗教団体と池田大作というカリスマ指導者に迫った週刊ポストの連載『化城の人』。ノンフィクション作家の佐野眞一氏は、現在、創価学会本部があるエリアの歴史についてこう書いている。(文中敬称略)
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明治三十二(一八九九)年に出版された横山源之助の『日本の下層社会』(岩波文庫)は、東京の三大貧民窟として、四谷鮫河橋、芝新網町、下谷万年町をあげている。
下谷万年町は現在の台東区北上野一丁目界隈、芝新網町は現在のJR浜松町駅に隣接した世界貿易センター南側、JRの線路に沿った一帯である。
東京の三大貧民窟中最大のスラムは、四谷鮫河橋だった。
四谷鮫河橋の地名はもうないが、このスラムは現在の四ツ谷駅から赤坂に向かう外堀通りに面した広大な一画にあった。
迎賓館(赤坂離宮)の右手のスロープに沿って歩くと、学習院初等科の校舎が見えてくる。さらにその坂を東宮御所を左手に見て下って行くと権田原交差点に突き当たる。
そこから西はJR信濃町駅、東は新宿区若葉にかけた広大な一帯が、かつての四谷鮫河橋スラムである。地名でいえば現在の新宿区南元町一帯である。このエリアには創価学会本部、公明党本部の建物がすっぽり包摂されている。
設立当初、大多数が経済的に恵まれていない階層が会員だった創価学会の本部が、かつて東京最大のスラムだった四谷鮫河橋に建てられている。
いま、ここにかつてのスラムの面影はまったくない。街路樹が美しい街並みは広々として、むしろ庶民が住めないハイクラスなイメージを醸しだしている。その落差が却って歴史の皮肉を感じさせる。
※週刊ポスト2012年1月27日号