新聞が使う独特の言い回しに「思惑が透けて見える」という用語がある。普通の文章では、まずないと思うが、これをいったいどう読んだらいいのか。その表現について東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏が具体例を挙げて解説する。
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新聞社に入ったばかりの新人記者が地方支局で訓練する記事の書き方の一つに「スケッチ」がある。文字通り、見たまま聞いたままの様子を書くのだ。目の前にある事象を描けばいいのだから、慣れればできる。
これに比べると、政治記事はずっと難しい。見たままといっても、それでは極端な話、背広を来た政治家が歩いている姿しか目に入ってこない。
政策論議の焦点は少し勉強して流れを観察していれば分かるようになる。もっと難しいのは、政治家の思惑を伝えることだ。自分の思惑をペラペラと新聞記者に喋ってくれるような政治家はいない。当たり前である。自分の手の内を明かしてしまえば、敵対するライバルは対抗策を整えてしまう。
そういう事情もあって、新聞に広まったのが「思惑が透けて見える」という表現である。一昔前にはなかったが、いま新聞独特のはやり言葉の中では1、2位を争う人気用語ではないか。最近では政治面だけでなく、外交や一般記事にも登場するようになった。たとえば次の例だ。
「中国側の厚遇の裏には、日米韓3カ国の連携による『中国包囲網』にくさびを打ち込みたいという思惑が透けてみえる」(産経新聞11年12月27日付)
これは昨年末の日中首脳会談を解説する記事だ。内政記事では「執行部の思惑」とか「政府の思惑」とか「◯◯グループの思惑」が「透けて見える」というように使われている。
ここで「思惑」が「だれ」に「透けて見える」のかといえば、それは「記者に」だ。つまり、この手法は「記者には政府の思惑がこういう風に見えますよ」と報じているのである。
※週刊ポスト2012年1月27日号