つつましやかなものごし、やさしい笑顔は、その肩書とも、連日のニュースで注目を浴びた立場ともかけはなれていて、目を疑う。
内閣府で政策統括官を務める高級官僚は、仕事を持つ女性の頂点に立つひとりともいえる。加えて、冤罪によって逮捕され、164日間の勾留生活を送り、裁判で無罪を勝ち取った人でもある。それなのに、どこまでもひかえめに、「もとが、ぼーっとしているものですから」とおっとり笑う。
まじめすぎて融通が利かないと自分でも認める村木厚子さん(56)が、逮捕されたのは、厚生労働省のキャリア官僚だった2009年6月。容疑は虚偽有印公文書作成・同行使で、実態のない団体に障がい者団体の証明書を発行するよう部下に指示した、というもの。
のちに大阪地検特捜部のでっちあげ、まったくの冤罪であることがわかるのだが、
「30年間レールの上を外れることなく歩いてきた私が、テレビや新聞に追いかけられて、逮捕され、人生にはこういうことも起こるんだ、とびっくり。ただ、当たり前のことかもしれませんが、家族は絶対に信じてくれる、と思っていました」(村木さん)
そんな村木さんは、『あきらめない 働くあなたに贈る真実のメッセージ』(日経BP社)を上梓した。本書では、子供を育てながら霞が関でキャリアを重ねていた村木さんが無実の罪で逮捕・勾留されるまでの半生、そして極限状態を支えた家族とのエピソードが綴られている。
村木さんが大阪で逮捕されたとき、夫は海外出張中。母親として真っ先に気にかけたのは、ふたりの娘のことだった。会社員の長女は勤務中で、自宅には当時、高校生だった次女がひとりでいた。
「娘たちが母親の逮捕を、報道で知ることだけは避けたかったから、まず夫に知らせたかった。とっさの判断で、検事の目を盗んで、夫にたったひと言“たいほ”と携帯でメールできたとき、大丈夫だと思いました。ふたりの娘のことが大好きなパパですから、きっと夫が万全なことをしてくれるだろうと、最初の心配は消えたんです」(村木さん)
20日間の取り調べの間、弁護士から娘たちの手書きのメッセージと写真を見せられたとき、またひとつ心配がなくなった。
「がんばれという言葉に添えて、私のことを自慢の母親だ、というようなことが書いてあり、ずいぶん励まされました。このときだけの言葉かもしれませんが(笑い)」(村木さん)
やがて接見が許されるようになったとき、長女は「私は長女だからしっかりしなければ」と、次女は「家族でいちばん年下の私のことをみんなが心配している。だから心配かけないようにしなくては」と、それぞれが気丈にふるまっているのがわかりうれしかったと笑顔を見せた。こうした家族の思いやりと信頼が、何よりの心の支えになった。
とはいえ、学校や職場、近所の人たちの冷たい視線にさらされているのではないか、と案じたこともあった。
「長女は職場の人たちが守ってくれて、次女は学校の仲間がほったらかしにもしないけれど、お節介もしないので心配しないでといっていました。ご近所の人たちも、すごく気にかけて、やさしく声をかけてくださっていたといいます。それを聞いたときに心から安心して、自分のことだけを考えて、裁判に備えればいいのだと思うようになりました」(村木さん)
笑顔を絶やさずに、冷静に話す村木さん、獄中でも「しくしく泣くようなことはなかった」という。家族のほかにも多くの友人や知人が支援の手を差し伸べてくれた。
「私のためにこんなに心配してくれる人がいる、落ち込んでいる場合じゃないと思いました。感情がこみあげてきても、だいたい3分間で終わりましたね」(村木さん)
※女性セブン2012年2月2日号