金正日の急死で、後継者の金正恩新政権が急造でスタートした。金正恩体制を支える最重要人物は金正日の実妹・金慶喜の夫である張成沢・国防委員会副委員長といわれる。しかし北朝鮮指導部には権力闘争のマグマが渦巻いている。果たして張氏は最重要人物なのか? これから北朝鮮はどうなっていくのか。その内情を関西大学教授の李英和氏がレポートする。
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張成沢にまつわる俗説を正しておこう。張成沢は金正日政権下で一貫して不動の実質権力序列第2位の座を占めてきた。
たしかに、張成沢の「浮き沈み」を指摘するむきもある。具体的には、2003年10月から2006年1月までの間、ぷっつりと動静が途絶えたことを指す。そのせいで「自宅軟禁説」や「投獄説」が流れたりした。
しかし、まったくの誤解である。この期間、張成沢は持病の前立腺癌の手術を中国で受け、その後に平壌で療養生活を送っていた。術後の経過は順調で、健康に不安はない。
療養生活中も執務は続け、アメリカの軍事偵察衛星が当時、いわゆる「9時~5時」で自宅と執務室を往復する張成沢の姿を視認している。その後は、定期検査を名目に、単独で乗用車を駆って国境を越え、頻繁に訪中を繰り返して中国当局との緊密な意思疎通を図ってきた。
張成沢が「権力闘争の化身」と別称され、中国政府からも「腹の底が読めない曲者」と評されるゆえんである。この張成沢が政治で辣腕をふるい、妻・金慶喜が党の資金を握る。他方で、李英鎬を強引に軍の頂点・総参謀長に据えた。この夫唱婦随と右腕の李英鎬とで、集団指導体制の要諦を押さえてきた。
ところが、そこに金正日急死という想定外の波乱が起きる。これが集団指導体制の勢力地図を再び塗り替えようとしている。
張成沢の腹積もりはこうだった。向こう1年間は、金正日と金正恩の二人三脚で引っ張る。そして、その間に党と軍の中に残る対抗派閥を徐々に排除していく。だが、その筋書きが金正日急死で白紙化してしまったのである。
実際、「逆賊」扱いまでして死に体に追い込んだつもりの軍の実力者、呉克烈・国防委員会副委員長は、非常事態下での一致団結の波に乗り、驚きの復活劇を果たした。同じ事情は、次男=正哲派で故・高英姫の盟友だった玄哲海と李明秀の両大将にも当てはまる。これに対して、張成沢が育てあげた李英鎬は、肩書こそ立派だが、まだ軍内では非力である。くわえて、張夫妻の有力な同盟者だった金玉秘書は、金正日の死去で政治的影響力を失った。
張成沢が血で血を洗う権力闘争で勝利を収めるには、李英鎬との同盟関係が不可欠である。だが、李英鎬は野心家だ。いつまでも「張成沢の右腕」に甘んじているとは限らない。それほど張成沢と李英鎬の同盟関係は脆い。
金正恩政権下での権力闘争は勝者の見えない泥沼の様相を呈することになる。そして、早ければ年内にも金正恩体制の崩壊がはじまる。
※SAPIO2012年2月1・8日号