張海星氏(66歳)は金日成総合大学を卒業後は朝鮮中央放送に入局。政治部記者やラジオドラマの作家として活躍した。1996年に脱北後、韓国国家情報院傘下の韓国国家安保戦略研究所の研究委員を務めた。そんな張氏に金正日の葬儀や金正恩の偶像化について分析してもらった。
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金正日死亡後の平壌の様子は、金日成が死んだ当時とは大きく違っていた。放送局に勤めていたから、余計にそのことを痛感する。金日成が死んだ時の平壌は、それこそ悲嘆・慟哭する市民があちこちにいた。カメラマンは街へ出てどこでカメラを回してもよかった。そこに映った人たちは例外なく泣き悲しんでいたのだから。ところが今回はそうではない。カメラマンは泣き悲しんでいる人たちが集まっているところだけを選択して撮っている。以前のように心から泣く人たちは確実に減っているのだ。
北朝鮮の住民の中には、外国の事情がある程度分かっている人を除けば、放送内容を信頼している人がまだいることは確かだ。一方で、住民たちのほぼ全員が、放送番組には政府の意図が色濃く反映されていることを知っている。自分の国がどういう国かということが、よく分かるようになってきているのだ。
北朝鮮南部の軍事境界線に近いところでは、韓国の放送がリアルタイムで受信できる。K-POPや韓流ドラマ、ニュースまで観られる。携帯電話も普及し始めるなど、情報化社会が急速に進行している。いつまでも住民たちを欺き続けることはできないはずだ。
金正日死亡後は金正恩を神格化するかのような映像が繰り返し放映されている。1月8日の金正恩の誕生日には、馬に跨がってポーズをとったり、兵士とともに戦車に乗ったりしている記録映画が公開された。彼が金正日の後継者であり、権力を握りつつあるというメッセージが強く伝わる映像だった。
しかし裏を返せば、まだまだ金正恩の権力基盤が弱く、軍幹部たちから信用されていないことを物語っている。金日成が死んだ直後の金正日はそこまではやらなかった。すでに父親から権力を継承していたからである。軍も国民もそのことを知っていた。
北朝鮮は権力基盤がハッキリしない不安定な時代に突入したのだと思う。何度も流れる神格化・偶像化映像はその証左である。
※SAPIO2012年2月1・8日号