福島第1原発では、冷温停止状態から事故収束宣言に至り、事態は沈静化したかのように語られる。しかし現場では、今も多くの作業員が目に見えない放射能と闘っている。震災の直後から被災地を取材し続けている産経新聞東北総局の荒船清太氏が、リアルタイムで働く作業員たちの実像に迫る。
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昨年12月に政府が原発事故の収束宣言を出した後も、東京電力福島第1原発では決死の「収束」作業が続けられている。作業が深奥に近づくにつれ、放射線量が増していく現場。孫請け構造による低賃金に悩みながらも、作業員たちは一生をささげる覚悟で今日も作業に臨んでいる。
夏には道からはみ出すように並んでいた作業員の駐車場は、車も随分減って隙間が目立つ。12月末、東京電力福島第1原発の収束作業の拠点、福島県広野町の「Jヴィレッジ」近くの原発作業員の民宿では、夏に比べて明らかに人数が少なくなっていた。
「夏あたりは200人ぐらいいたけどね、今は80人くらいかな」。民宿の従業員はそう振り返る。
毎晩のように民宿のマスターらと酒を酌み交わしていたちょびひげの名物作業員「マリオさん」の姿も見えない。「免停で作業できなくなっちゃったらしいよ」。酒席をともにしたことがある作業員(36歳)は言う。
「沖縄からきたアメリカ人とか、みんないなくなっちゃったなあ」。被曝線量が年間限度を超えたり、事故を起こしたり。完成した作業も出てきて、当時の作業員らは一人、また一人と、県外の従来の建設現場に散っていった。
ただ、残った者の忙しさは変わらない。「むしろ今が一番忙しいくらい」。建設会社の30代の中堅男性社員は話す。汚染水など一部の作業が完成に向かうにつれ、第1原発周辺の警戒区域では放射性物質の除染作業が本格化。各建設会社は地元から作業員をリクルートしたり、物資を手配したりで大忙しだ。
政府・東電は、福島第1原発の廃炉まで「最長40年かかる」と試算している。建屋のがれき撤去、除染、中間貯蔵施設の設置、そして廃炉。たとえ被曝線量が年間許容量を超えたとしても、1年後にはリセットされる。作業は尽きることがない。
この社員は震災前から原発関連の作業に携わってきた。「俺、廃炉んときまで生きてっかなあ」。仕事を終えた午後、タバコをくゆらせた。
※SAPIO2012年2月1・8日号