週刊ポスト連載中から轟々たる反響を集めていた『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一著)は、発売即日に大重版し、早くも累計10万部を突破した。ノンフィクション界の巨人、佐野氏が“本人も見られない背中や内臓から描いた孫正義論”と語る本書は、大きな波紋を広げている。ノンフィクション作家の石井光太氏はどう読んだか。
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本書の随所で、孫正義は日本に対する愛国心をむき出しにする。
孫が愛国心を語るのは、彼の在日三世という出自に基づく劣等感のあらわれといってよい。彼は幼少期に外国人差別を受けて苦しみ、福岡の高校を中退して単身アメリカへと渡る。
だが、世界へ出るということは、逆にそれだけ自分の出自を意識せざるをえなくなるということだ。グローバリズムの波の中では、自分の生まれた国をアイデンティティとしてしがみつくことでしか生きていけない。孫はそれを体験して以来、これまでとは態度を変えて日本への愛を叫ぶようになったのだろう。
佐野眞一はそうした孫の心を見透かし、彼の中の「昭和の闇」をえぐり出そうとする。差別と暴力と貧困に満ちた暗い時代をつかみ出そうとしたのである。
佐野はこれまで昭和という時代を核にして様々な評伝を書いてきたノンフィクション界の怪物だ。佐野が孫の中から「昭和の闇」を掘り起こそうとするのは彼の作家としてのアイデンティティといってもいい。孫が「白戸家の愛に満ちた家庭」をCMでつくりだせば、佐野は彼の家庭内暴力に満ちた子供時代を引っ張り出してきて、白戸家の姿は暗い幼少時代の反動だと叫ぶ。
しかし、孫もまた経済界の怪物であり、一筋縄ではいかない。佐野が掘り当てた昭和をはるかに上回る大言壮語で煙に巻く。たとえば佐野が福岡の山野炭鉱で起きたガス爆発事故で在日の叔父が死亡した過去を見つけ、そこに彼の脱原発活動の源があるのではないかと指摘する。すると、孫は「俺はそんな小さな過去に縛られた人間じゃない」とでも言わんばかりに、原発後の自然エネルギーに対する壮大な夢物語を声高に語る。
本書を読んでいると、両者の話があまりに乱暴で大きすぎて目がくらみそうになる。頭のカタイ評論家は、それをもって本作を評伝と呼ぶには荒すぎるというかもしれない。しかし、そもそもこれは評伝ではない。
佐野眞一という昭和に拘泥するノンフィクション界の怪物と、孫正義というバラ色の未来を自らの手でつくりだそうとする経済界の怪物の〈昭和をめぐる戦い〉なのだ。小津安二郎的で緻密な映画ではなく、ゴジラ対ガメラの戦いなのだ。そこには破壊力に満ちた衝突もあれば、大きな空振りもある。
そういう読み方をすれば、本書はスリリングなエンターテインメントとしてこれ以上ないほどの面白さに満ちた本だといえる。
※週刊ポスト2012年2月3日号