【書評】『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(與那覇 潤著/文藝春秋/1575円)
【評者】大塚英志(まんが原作者)
* * *
震災後にぼくがこの国にしみじみと感じたことは、ああ結局日本人は前近代のままなのだ、ということだ。かつて昭和天皇の死の折、皇居前に集まった人々の姿を浅田彰が「土人」と呼んだことに今更ながら同意する。
震災後、これで全てがリセットされると一瞬誰もが思い込んだその感覚は、安政の大地震の時そのままだし、放射能で汚染されているかもしれないものは一切地域に持ち込ませないと各所で顕在化した地域エゴイズムは、まるで村への厄災の侵入をおそれ、「道切り」をする『遠野物語』の世界そのままだ。
ぼくはこの国が近代をやり損ねたことを近代化のカリキュラムとしての柳田國男の民俗学を再評価することで言い続けてきた。が、結局、この国に近代をやる気がないんだよな、とけっこう投げやりな気持ちになっていたところで本書をぱらぱらめくると、ぼくよりずっと若い1979年生まれの著者もまた江戸時代がずっとつづいているのではないかといっている。
震災後の地域の助け合いも被災者を排除するエゴも「長い江戸時代」の一側面なのだと著者もいう。しかし「イエ」に入っていればなんとか食いっぱぐれないという江戸時代以来の「封建的」セーフティネットも機能しないよ。だって少子化ってそういうことだ、とも。
そしてもう一点。ここから先、この国に選択があるとすれば西欧とは違う近代化を歩んできた中国を含む東アジアに「日本」なんて一挙に昇華してしまえばいい、ふりかえってみるとそういう意味でのアジア主義を、戦時下のアニメ批評家・今村太平も言ってたよな、と思いつきで宮台真司との対談本で口走ったのだが、著者は長い江戸時代としての現在の先に「中国化」というもう一つの近代化が進行中だという。で、それが嫌だと「北朝鮮化」もあるよ、という僕より嫌みなシナリオさえ口にする。
ぼくは適当なことを言っていただけだが、「憲法九条を中国に押しつけるアジア主義」をふくめこの本の著者の主張の方は冷静に受け止めるべき内容だ。
※週刊ポスト2012年2月3日号