<子供を晒し者にするなよ>
<親のエゴを美談にしてはいけない>
<自分から依頼って最初から選挙利用だったのかな?>
ネットには、ある番組に対する批判の声が次々に書き込まれた。その番組とは、1月20日に放送された『私は母になりたかった~野田聖子 愛するわが子との411日~』(フジテレビ系)。
第3者からの卵子提供による妊娠、出産、誕生した子供の闘病――野田聖子衆議院議員(51)に1年2か月にわたって密着取材した2時間のドキュメンタリー番組だ。
野田氏本人が知人を通じて、出産前からテレビ局に「ありのままの自分を取材してほしい」と依頼し、放送に至ったものだ。そして報じられた映像は、まさに壮絶そのものだった。
昨年1月6日に2154グラムで誕生した真輝くんは、生まれる前から大病を患っていたため、誕生と同時にヘルニアと胃の大手術を行った。その手術直後、NICU(新生児集中治療室)に運ばれた真輝くんは、鼻、口、お腹にいくつものチューブがつながれ、臍帯ヘルニアのため体の外に飛び出した肝臓を透明のビニールで覆っていた。
本来なら赤ちゃんの誕生をみんなで祝うはずが、とても手放しでは喜べないような状態だった。健康な赤ちゃんなら聞こえるはずの泣き声は一切なく、「ピッ、ピッ」という機械音だけが病室には鳴り響いていた。
その後、一般病棟に移ったものの、再びNICUに。昨年10月には突然呼吸が止まり、心臓が一時停止して、生死の間をさまよう事態に陥ってしまったこともあった。このときはすぐに緊急手術の処置が施された。
術後、真輝くんの小さな体の左脇腹には、赤黒く変色した痛々しい大きな傷跡が残った。血の気を失い、声にならないほどの痛みなのだろうか、青白い顔の彼の目にはうっすらと涙が浮かんでいたという。野田氏は、そんな真輝くんの頭を優しく撫でることしかできなかった。
翌11月には気管切開の手術をして、小さな首に、真輝くんの腕よりも太い呼吸器がつけられた。この呼吸器をつけている限り、真輝くんは声を出すことができず、小学校入学ごろまで外せないという。
生まれてから、わずか1年で計7回もの手術を強いられるほど、次々に病魔に襲われる真輝くんの苦闘。それをただ見守るしかないつらい涙とともに、番組では初めて真輝くんを抱くことができたときの喜びなど、野田氏の母としての幸せな思いも描き出されていた。
しかし、そんな愛息との闘病の日々を描いた映像は、冒頭のように、思わぬ波紋を呼ぶこととなった。それでも野田氏は、「番組を通して、命とは、生きることとは何かを考えるきっかけにしていただければ」と取材協力を続けてきたという。
※女性セブン2012年2月9日号