アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずき。彼女はロンドン五輪出場を目指し、1月29日の大阪国際マラソンに出場する予定だったが、直前のケガで出場を断念。3月11日に行われる名古屋ウィメンズマラソンにかけることとなった。
そんな野口に対し、父親の稔さんはどんな思いを抱いているのか。ノンフィクションライター・柳川悠二氏がレポートする。
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野口が北京五輪の直前、左足付け根部分の故障によって出場を断念せざるを得なくなったのは、代わりの選手を用意できないタイミングだった。そのため野口とシスメックスの監督・コーチ陣には批判が集まった。その時稔は、円谷幸吉のことが頭をよぎった。円谷幸吉とは、東京五輪の男子マラソンで銅メダルを獲得し、そののち「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して自死したランナーだ。
「あの子は、金メダルを目標に走ってきたわけではない。ただ単純に走ることが好きだということと、支えてくれる監督やコーチ、会社のみなさんを喜ばせたいという一心だったんです。ケガは自分のせいなのに、藤田(信之)監督(現在は退任)や廣瀬(永和)コーチ(現監督)のせいのように言われることが耐えられなかったはずなんです。その時ばかりは私も『もう普通の子になって、うちに帰ってこい。お母さんの胸に飛び込め』という言葉が出かかりました」
稔に対しては、何度か取材を行ったが、いつも話の途中であるにもかかわらず、「もうよろしいですか?」と突然席を立ち、立ち去っていく。一度に胸襟を開く時間を決めていて、その時間に達すると心をシャットダウンするかのようだった。
不器用な人なのだろう。以前に聞いた話との矛盾点を訊ねると、「私には学がありませんから」と自身を卑下するのだ。そういう父だからこそ、野口は慮ってあえて父と距離を置いてきたのかもしれない。
大阪国際マラソンの欠場が報じられる直前、稔は私にこう話していた。
「オリンピックには行けなくてもいい。大阪では、とにかく完走さえしてくれればいい。北京のあとのみずきは、地獄の中を生きているようなものだった。私は初マラソンも、アテネも、ゴールシーンを見ていない。今度はしっかり娘の姿を見届けたい」
五輪出場権獲得への道は、3月11日の名古屋ウィメンズが残されている。ケガについて孤高のランナーは軽症を強調し「私は諦めません!」と気丈夫を装っているが、名古屋のスタートラインに立つことはできるだろうか。
幼少から走り続けてきた野口にとって、両親をはじめこれまで支えてくれた人々への「返礼の旅路」は、まだ終わってはいない。
※週刊ポスト2012年2月10日号