2011年11月21日、立川談志が亡くなった。師匠五代目柳家小さんが「最も才能がある弟子」と認め、弟弟子の柳家小三治が「百年に一人の素質の持ち主」と表現した談志は、おとなしく落語だけやって「名人列伝」の一人に加わるのではなく、愛する落語が能のような存在になるのを阻止するために全力で闘い続け、落語史上唯一無二の存在になった。
誰も「これで落語の灯が消えた」とはいわない。灯が消えないような落語界にしたのは談志なのだ。立川流家元が亡くなっても、弟子たちが「談志一門」であることに変わりはない。どのような組織形態になるにせよ、一門としてのまとまりは存続するだろう。
談志一門は「寄席経験組」と「立川流生え抜き」に分かれる。後者の代表が志の輔、談春、志らく、談笑ら。落語に興味が無い人たちは志の輔を一番弟子と勘違いしていたりするが、人気はダントツの志の輔も一門の序列では上から九番目だ。
序列のトップは相撲噺のスペシャリスト桂文字助だが、彼は二ツ目時代に師匠六代目三升家小勝が亡くなって談志門下に移った噺家で、一番弟子は土橋亭里う馬。以下、立川左談次、立川談四楼、立川ぜん馬、立川龍志、立川談之助、立川談幸ときて、次が志の輔である。
※週刊ポスト2012年2月10日号