今から40年前、1972年には「あさま山荘」事件が起きた。作家・山藤章一郎氏は当時を象徴する人物についてこう書く。
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〈あの時代〉の顔のもうひとりに会った。
塩見孝也氏・京大中退、元赤軍派議長・最高指導者、70歳。19年9か月を獄で過ごした。現在、著述業、兼、駅前駐車場管理人で合わせて月収10万円。
ファミレスの店内で、連合赤軍事件と時代を長く熱く語る。
「あの頃、資本主義から社会主義への移行期に生きてる、世界が変わる、歴史が変わると、みな、沸騰してました。しかし赤軍派で5名、革命左派で7名殉難しました。監獄出てからも、活動を継続するなかで、この事件と向かい合いつづけ、考えつづけてきたんです」
シルバー人材センターで紹介された駐車場勤務は月に10日ほど。
いまも「本業は活動家」と自認し、経産省の前にテント張りする〈脱原発〉の運動に駈けつけたり、福島へ野菜や水を運ぶ活動にたずさわっている。年金もない生活だが、思いは痛切である。
「仕事は、立ちっぱなしでキツイですよ。だけど、独立自主で、活動資金も食い代も自分で稼ぐ。世間一般の勤労民衆の普通の生き方から学んだことを革命思想の土台に据えたいのです」
※週刊ポスト2012年2月10日号