1月17日に第146回芥川賞を受賞した田中慎弥さん(39)。受賞作『共喰い』(集英社刊)は、早くも10万部のヒットという予想以上の売れ行き。受賞記者会見では、
「アカデミー賞でシャーリー・マクレーンが『私がもらって当然だと思う』といったそうですが、だいたいそんな感じ」
「都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる」
「もうとっとと終わりましょうよ」
と不機嫌を隠そうともせず爆弾発言を連発して大いに話題となった。
田中さんは1972年、山口県下関市生まれ。家具の販売員だった父親を4才のときに心不全で亡くし、母親の眞理子さん(68)と母方の祖父に育てられた。田中さんを子供のころから知る近所の女性は、少年時代の田中さんについてこう話す。
「小さいときのシンくん(田中さん)は内弁慶。家では話すけど外では大人しい子やった。小動物が好きで動物図鑑をよく見ていました」
学校でも決して目立つ子ではなかったという田中さん。小中と同じ学校に通った女性は、当時の彼について、「大人しくて印象の薄いタイプ」と語ったうえで、こう振り返る。
「田中くんは『しんや』と名前で呼ばれていましたよ。勉強もスポーツも決して得意なほうじゃなかった。だから周りからからかわれることもあったんだけど、怒ったり反撃したりせず、すぐにしょぼんと下を向いてしまうような感じで(笑い)。女子にモテたかって?どうでしょう…運動会のフォークダンスでは、“しんやとは手をつなぎたくない”っていう女子もいたような(笑い)」
そんな田中少年が小学校の文集に書いた将来の夢は、「平ぼんなサラリーマン」。いかにも地味な少年なのだった。
田中さんが本格的に文学にのめり込むようになるのは中学時代。父親の本棚に残された三島由紀夫や川端康成の小説を愛読。中学卒業後は地元の工業高校に進学し、新聞部に所属。顧問の教諭をして「添削のしようがない」とうならせる文章を書いたという。
高校を卒業した1991年は、バブル景気に陰りが見え始めていたものの、就職は売り手市場だった。しかし、田中さんに就職する気はなかった。前出の近所の女性がいう。
「シンくんのお母さんは、『親戚がいくらでも就職先を紹介するっていうけど、息子は全部断る。じゃあ大学にいかせてやるといっても“いかん”という。昔から頑固でてこでも動かん。どうにもならん』って彼の進路をものすごく悩んでおられた。
『“いまは私が働いてるからいいけど、お母さんがおらんようになったらどうするの”って心配しても、“一文無しになってもなんになっても構わん”っていいよった』って。しまいにはお母さんも諦めとったね」
※女性セブン2012年2月16日号