西側世界の協力を得た経済発展を目指し、中国支配からの脱却を狙うミャンマーが、最も親和性を感じる国が日本だ。ミャンマーから見た日本は、イギリスの支配から自国を解放してくれた国だ。この国と手を結ぶことの重要性を、ジャーナリストの富坂聰氏が解説する。
* * *
「ミャンマーを取り込め!」日本外交、そして産業にとってさまざまな点で大きな意味をもつであろうと考えられるのがこの言葉だ。
日本に伝わる外国のニュースなかで、軟禁を解かれたばかりのアウンサンスーチー氏の問題を除けば決して頻度が高いとは言えないミャンマー関連のニュースだが、欧米やシンガポールのニュースではその動向がきめ細かく報じられているのだ。
とくに昨年末、ヒラリー国務長官が米国の国務長官としては56年ぶりという訪問を果たすと、イギリスのヘイグ外相がこれも英外相としては50年ぶりという訪問を果たし、ミャンマーが西側に向けた扉から本格的な交流が始まろうとしていることがうかがえるのだ。
この欧米各国の動きは、やはり昨年末ミャンマーが600人にも上る政治犯の釈放を行うという民主化のサインを受けたものだが、ミャンマーがその後もさらに多くの政治犯の釈放を行いアウンサンスーチー氏の政治参加の容認など、西側の要求に応える動きを続けているのだ。
ミャンマーといえば軍事政権下で中国との関係を深め、かつては北朝鮮の核開発をサポートした疑惑までがもたれていた国だ。
しかし、この一連の動きで明らかなようにミャンマーの本音は、中国の強過ぎる支配からの脱却と、西側世界からの協力を得た経済発展である。そして、ここが最も重要な視点だが、ミャンマーが西側を見まわしたとき最も親和性を感じる国こそが日本だという事実なのだ。
ミャンマーから見た日本は、イギリスの支配から自国を解放してくれた国であり、実際に戦後も日本の旧軍人に対して勲章を与えたりもしているのだ。また戦争末期に敗走する日本軍に対し、イギリスから追撃の指令が出ても頑として日本への攻撃を拒んだ国でもある。
そして同じように日本政府もミャンマーにシンパシーを感じてきていた。アメリカが国連を通じて進めてきた対ミャンマーに対する制裁に対し、日本は他のケースとは違いなかなか賛成することなくアメリカを苛立たせてきたのである。
そんな両国がいま陣営という障害を拭って手を結ぶチャンスを迎えている。このチャンスに最も相性が良く、発展の余地にも恵まれたミャンマーとのウィンウィンの関係を築くことこそ日本が真っ先に取り組むべき外交課題ではなかろうか。