かつてのファミコンブームで一躍、“時の人”となった元ハドソン社員の高橋名人こと高橋利幸さん(52)。彼の代名詞といえば、目にもとまらぬ速さでコントローラーのボタンを押す“16連射”だ。いまだから明かせる、その“必殺技”の秘密から、“永遠のライバル”といわれた毛利名人との本当の関係など、当時の裏話を告白――
――当時、表舞台に出ることになったきっかけは?
名人:ぼくがハドソンの宣伝部にいて、1984年に『コロコロコミック』(小学館)さんと仕事をするようになって数か月経ったころ、イベントを銀座の松坂屋さんでやったことですね。当時、ファミコンブームといっても発売してまだ1年、ハドソンからファミコンソフトの『ロードランナー』が出て半年ぐらい。『コロコロコミック』の巻頭や漫画にファミコンが登場し始めたころです。
なので、コロコロコミック編集部は実際にこのファミコンブームがどういうものなのかを見たかったみたいで、イベントでファミコンのステージをやってみないかとハドソンに打診がありまして、上司が軽く「やろう」と。それまで『ロードランナー』は130万本ぐらい売れてましたが、発売直前の『チャンピオンシップロードランナー』は非常に難しいので、子供にウケるか不安だったんですね。そのイベントで子供の反応を見ることができるんじゃないかということになりました。
ステージをやるのはいいけど予算がないから、デモンストレーションをやるしかない。でも、実際にやってみて成功したので、全国展開したら面白いんじゃないかということで『全国キャラバンファミコン大会』を始めたんです。始めてみると「こうしたら点数が上がる、とかデモンストレーションする人がいたほうがいい」と、社内のみんながぼくの顔を見ながらいうわけですよ。自然とぼくがやることになって…。でもインストラクターっていう肩書きはおかしいし、日本だと碁とか将棋の世界で強い人は名人と呼ぶ。そこで、“高橋名人”でいいじゃないか、ってことで生まれたわけです。
――ところで、16“連射”と“連打”のどちらが正式名称ですか?
名人:ま、どっちでもいいですよ(笑い)。ぼくはそんなにこだわらないんですけど、こだわる人がいるんですよね。でもまぁ…連射でしょうね。
――16連射は訓練を積んでできたものですか?
名人:いや、訓練はしてないですね。『第一回全国キャラバン~』をやった後に、コロコロコミックさんの元に「名人はボスキャラを倒すのが早いけど、どれぐらいのスピードで打ってるんですか?」という投稿があって、調べた結果、「1秒で16ぐらい打ってるから“16連射”にしよう」と。全国キャラバンは40日間で32会場周っていますので、1日2回で計60回ぐらいゲーム大会をやるんです。子供の前で失敗しちゃいけないってことで真剣にやると早くなるわけで、それが実地練習になったんでしょうね。
――いまでも16連射はできますか?
名人:無理です! もうね、52才にそれは無理ですよ。
――いつごろまでできましたか?
名人:1987、88年ごろからは自分で連射するようなゲームがないんですよ。その後のゲームはボタン押してるだけのオート連射が多いですからね。必要なくなって十何年やってなかったんですね。5、6年前にファミコンの番組かなんかでやってくれっていわれてやりましたけど、いまは13連射ぐらいですよ。
――実際は“16連射”ではなく“17連射”だったという話もありますが。
名人:『スターフォース』というゲームのボーナスキャラでラリオスというのがいて、コアの部分に8発撃ち込まなければ倒せないんですね。でも、コアが光る前に撃ってしまったものは8発に足され、その合計の数を1秒間で打たないと倒せなくなる。これを利用して、光る前に何発撃っても成功するかということで16連射を導きだしました。
その後、ぼくと毛利名人が対決する『GAME KING』(1986年)という映画のときに、ADさんが240コマを抜き出して数えてくれたんですね。映画は1秒間に24コマのフィルムでできていますから、240コマということは10秒間。10秒間に174発打っていたから秒間17.4ということで、実際は17連射だったらしいです。
――16連射で建硝炎など手を負傷したことは?
名人:16連射は指じゃなくて肘から先を使うので、建硝炎にはならないです。コツは、振幅をできるだけ1ミリぐらいにすることですね。物理ですね。倍速にしようと思ったら振幅を半分にする、それをさらに半分にしてこれを1ミリぐらいにするんです。
――“永遠のライバル”といわれた毛利名人とは実際は仲は良かったんですか?
名人:そんなに飲みにも行ってませんし、それほど交流はしてないですね。キャラバンのときも、彼が北でぼくが南の地方のキャラバンですから全然会わないですし。それに彼、当時は学生で、キャラバンのためのアルバイトで参加してたんですよ。だから彼とはコロコロコミック編集部に行ったときだけ会うという感じでした。それに、名人をやっていたときって1980年代後半ぐらいまでは忙しくて、なかなか飲みに行けなかったですね。
――実際、ライバル意識はありましたか?
名人:いや別に、ライバルってのは誌面での話ですから。でもこないだ連絡を取って、私がやっているネット番組に来てもらいましたよ。昨年もテレビ番組の対談で会って、その前にも『ファミ通』の対談コーナーで会ってますね。そのとき彼、ライターとしてファミ通で働いていたんです。だからこないだ会ったのは、5、6年ぶりでしたね。
【高橋利幸(たかはし・としゆき)】
1959年5月23日、北海道出身。1985年~1990年にかけて日本全国で一大ブームを巻き起こした“ファミコン名人”として活躍。ハドソンの社員だったが、16連射で一躍、子供達のヒーローとなる。2011年5月31日付けで約29年勤めたハドソンを退社。インターネット番組『ゲッチャ!』では「名人」の肩書きでゲーム番組やイベントのMC、プロデューサー業など多岐にわたり活動中。