有名人の噂話が好きなのは万国共通だが、ロシア人は少し趣が違うのだという。対ロシア外交を鋭く分析する新刊『国家の「罪と罰」』(小学館)の著者である元外交官で作家の佐藤優氏が解説する。
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ロシア人は国家元首に対して、独特の感情を抱いている。ロシア人の間では、プーチンのことを「あいつは死神みたいだ」とか「卑猥な言葉(マート)を平気で口にするので下品だ」と平気で悪口を言う。
しかし、外国人が調子を合わせて、プーチンの悪口に加わろうものなら、いままで悪口を言っていた当のロシア人が「貴様は、わが大統領に対して何を言うんだ」と青筋を立てて怒る。家族の中では「おとうちゃんはだらしない」とか「粗大ゴミ」だと悪口を言っているが、他人が「あんたのお父さんはいやらしい人間だね」と言われると、誰もが不愉快になるのと同じような感情だ。
ときたま、プーチンの批判をしてもロシア人から怒られない外国人がいる。こういう外国人は、ロシアのほんとうの友人と認識されているので、「こいつは悪口を言っているのではなく、ロシアのことを心配して好意的に苦言を呈しているのだ」と受け止められる。
ロシア人は噂話が大好きだ。ゴルバチョフやエリツィンの夫婦生活や家族問題、セックス・スキャンダルに関する噂話はクレムリン(大統領府)高官の大好きな話題だった。ちなみに筆者が現役外交官としてモスクワで勤務していた頃は、エリツィンや大統領府・政府を巡る噂話のほとんどは同性愛、つまり、男と男の恋愛感情が政治に悪影響を与えているといった類の話ばかりだった。ソ連崩壊という大きな革命の直後で、それだけ政治エリートの人間関係が濃密だったのだろう。
それでも、一つの越えてはいけない線があった。それは、このような噂話が活字になって新聞や雑誌で流布することである。それは、権力のみでなく権威をあわせもつ大統領に対して「不敬」であるという感情を呼び起こすからだ。
マスメディアは、政府による弾圧よりも世論の反発を恐れて、大統領のプライバシーに関する報道を差し控えるのだ。ロシアで深刻なのは、公権力による検閲ではなく(ソ連時代のような事前検閲は現下ロシアで完全に撤廃されている)、当局や世論の反応に過敏になったマスメディア関係者が行なう自己検閲や自発的撤退である。
※『国家の「罪と罰」』より抜粋