金正日の死により急遽立ち上げられた金正恩新体制。ジャーナリスト・惠谷治氏が刻々と変化する北朝鮮の内情を様々な映像資料から分析する。
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世界中が注目した昨年12月28日の金正日の国葬では、市民が整然と列をなし、悲しみ泣き叫ぶ姿が強調された。だが、実はこの中継の最中に「映ってはならないシーン」が混じり込んでいたのだ。
そもそも、北朝鮮で初めて実況中継(生放送)が行なわれたのは、2008年の東平壌大劇場でのニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの公演だった。翌年6月、平壌で開催されたワールドカップ(W杯)南アフリカ大会アジア最終予選B組の対イラン戦、さらに翌2010年6月のW杯本大会の対ポルトガル戦、同年10月10日の金日成広場での朝鮮労働党創建65周年閲兵式が実況中継されたが、それだけだ。
つまり、北朝鮮における実況中継は、今回の金正日国葬がたったの5回目。技術的に不慣れなため、画面が一瞬真っ黒になるなどの切り替えミスが、計4回もあった。そして、日頃の計算ずくの映像では混じり込みようのない“実像”が映し出されたのである。
午後2時46分、金正日の霊柩車は普通門を通過した。同50分、忠誠橋の北側にある高層ビルに設置された中継地点から、千里馬通りの画面に切り替わった。しかし、車列がなかなか到着しない。沿道で慟哭する市民の姿などを繰り返し放送した。
「異変」が映し出されたのは午後3時2分。
突然切り替わった画面には、沿道の群衆が統制線を破り、肖像画運搬車輛に群がる映像が流れた。その間約30秒。群衆が制止を無視して車に駆け寄る場面が流れた後、画面には黒筋が入り、ブルーバックとなった。
このシーンについては、韓国の東亜日報(2011年12月29日付)が〈放送事故が発生したものと見られる〉と報じたのみだったが、異変の重大性を見逃している。
画面がブルーバックになる直前の部分を丁寧に見ると、その画面左上には録画を示す〈REC1〉の文字。下部には業務用の略号が並んでおり、そもそも切り替えミスであることは明らかだ。そのミスによって流れた「不適切な映像」が、検閲官によってブルーバックに切り替えられたと思われる。現場は、平川区域鳳池洞(北緯39度00分30.87秒、東経125度43分27.99秒)だった。
その日の朝鮮中央テレビは、夜11時に金正日国葬のダイジェスト番組を放映した。実況中継時にはなかった移動撮影用の車輛からの映像もあった。鳳池洞の騒乱はカットされていたが、興味深いのは平壌体育館前や統一通りでの同じような場面を映し出していることだ。
もちろん番組では「騒乱」ではなく、「将軍様は人民を置いて絶対に逝ってはいけない、とむせび泣きながら霊柩車を取り囲む涙ぐましい場面」と紹介された。しかし、それは録画放送で後付けされた都合のいい説明に過ぎない。
住民統制が厳しい北朝鮮において、金正日国葬の場で住民がコントロール不能になったことは非常に重要だ。これはつまり、何らかのきっかけで住民暴動が始まれば、北朝鮮の党、軍、政府にそれを制御するだけの力がないことを示唆している。
これらのシーンは、金正恩新体制の不安定さを象徴しているのだ。
※SAPIO2012年2月22日号