スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンによる推理小説を鬼才デヴィット・フィンチャーが映像化した『ドラゴン・タトゥーの女』。インドでは上映禁止の憂き目に遭うなど、閉鎖的なスウェーデンを舞台とした猟奇ミステリーの過激な内容に話題加熱中の一作だが、来日したフィンチャーは原作よりも魅力を増したキャラクターに最大の自信を見せていた。
近年『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(08)や『ソーシャル・ネットワーク』(10)など人間ドラマに傾注していたフィンチャーが、『セブン』(95)『ゾディアック』(07)などを連想させる推理性、猟奇性を扱ったことでも注目の本作。40年前の少女失踪事件の謎に没頭していくジャーナリストの主人公ミカエルと相棒で天才ハッカーのリスベットが、血塗られたスウェーデン富豪一家の歴史と闇のコアに近づくにつれて、背筋が凍るほどの真実にブチ当たっていく。そのダークな語り口と“悪いことが起こる”と予見させる展開はフィンチャー演出の真骨頂で、超一級のミステリーとして見応え十分だ。超有名な原作の存在と一度映画化されている事実を重圧に感じることなく、鬼才は十八番の手腕を発揮した。
来日したフィンチャーは、2009年に製作されていたスウェーデン版映画を「まったく意識しなかった」と言っていたが、今作のキャラクター造詣に絶対の自信を見せていた。原作以上に人間味が増したミカエルやリスベットの創造法について「原作からの“引き算”の作業だった」ことが明かされていたが、抽出されたキャラクターは善悪入り乱れた複雑な性格の人間ばかり。ミカエルは巨悪を暴く記者魂を貫きながらも不倫に溺れる身で、リスベットも複雑な精神構造で共感しにくい奇行を取ることもしばしばだ。頭脳も性格も頼れる名探偵が登場するなど、誰か一人に身を委ねていればラストまで居心地良く誘ってくれる類いの映画ではないのだ。
殺人シーンでエンヤの曲が流れる異常性も際立っているが、本作は正常と異常、人間の多面性を抽出した上で観る者に清濁併せ呑めるかを、ミステリーの枠組みと威を借りながら問うフィンチャーの挑戦状なのだ。“悪だけが解き明かす悪の真実”というコピーが言い得て妙だが、理不尽なことに遭遇、もしくは自分で抱えていても人は歩みを止めず、前を向いて歩き続けていくもの。人間関係や価値観などとかく割り切ることが是とされがちな現代、人間は言うほど単純な生き物ではないことをガツンと再確認・再認識させてくれる野心作だ。
映画『ドラゴン・タトゥーの女』は全国にて公開中。