広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が、“掟破り”と評する噺家が、橘家圓蔵だ。
* * *
立川談志は晩年の著作で「落語は江戸の風が吹く中で演じられるべきものである」と説いた。談志は「江戸の風を感じる演者」として五街道雲助を挙げたが、実は、他にも意外な落語家の名が挙がっていた。橘家圓蔵だ。圓蔵は「江戸の粋」を感じさせるタイプではない。むしろ正反対の爆笑派だ。その圓蔵に「江戸の風が吹いている」と談志が指摘したことは、極めて大きな意味を持つ。
圓蔵は1934年生まれ。1952年に四代目月の家圓鏡(後の七代目橘家圓蔵)に入門し、1965年に五代目月の家圓鏡を襲名。売れっ子タレントとしてテレビ・ラジオで大活躍し、1982年に八代目橘家圓蔵を襲名した。
圓蔵は古典のルールを壊すことで笑わせる手法の先駆者だ。「足元を見たな」「なーに、手元を見ました」「この野郎、サゲ言って終わらせようったってそうはいかねぇぞ! まだまだ落語は続く!」とか「この落語は面白いですよ、サゲが『あそこは私の寝床なんです』ってんですから」などと落語の形式そのものをギャグにしてしまい、古典の登場人物が「そんな古いギャグでウケようとするから小朝に人気で抜かれるんだ!」と演者にツッコミを入れ、「オマエだな、底辺かける高さ割る2イコール神社仏閣って書いたのは!」なんて時代背景を無視したセリフがガンガン飛び出す。
今でこそ当たり前なこういう「掟破り」は全部、圓蔵が始めたことだ。『猫と金魚』と『不精床』をリクエストされて二つの噺を同時進行で交互に演じたこともあるが、そんな真似は彼以外でお目にかかったことが無い。
圓蔵は「落語常識を覆す反逆児」だった。彼が圓鏡時代に確立した斬新なスタイルは、「格調高い古典」を求める人たちからは「邪道」と見られたが、「現代人を爆笑させる新しい古典のあり方」を提示したという点で実に画期的だった。
※週刊ポスト2012年2月17日号