【映画評】山崎貴監督「ALWAYS 三丁目の夕日’64」
【評者】川本三郎・文芸評論家
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昭和三十九年(一九六四)の東京オリンピックは、単にスポーツの祭典というだけではなく日本の国が戦後の混乱期を脱したことを国内外にアピールする一大国家的イベントだった。
とくに舞台となった東京はオリンピック開催に向けて都市大改造が行なわれた。新幹線やモノレールが走る、高速道路が出来る、大型のホテルが建つ。現在の東京の原型はこの時に作られたといっていい。
「三丁目の夕日」シリーズ第三作「ALWAYS 三丁目の夕日’64」(山崎貴監督)はこの東京オリンピックの年を舞台にしている。第一作(2005年)は東京タワーが出来た昭和三十三年、第二作は昭和三十四年。そして今度は昭和三十九年。
ちなみにこの年までは元号で呼ぶのが合っているが、以後は次第に西暦で呼ぶのがふさわしい時代になってゆく。
西岸良平の漫画では時間はとまったままだが、映画では時が進む。鈴木オートの子供、一平(小清水一揮)も、駄菓子屋の子供となった淳之介(須賀健太)も早いもので高校生。東北から集団就職で鈴木オートに働きに来た六子(堀北真希)も年頃のきれいな娘になっている。
町も豊かになっている。どの家にもテレビがある。車が走る。六子は親しくなった若い医師(森山未來)とドライヴに行く。淳之介は大学を目指す。
右肩上がりの高度経済成長は夕日町三丁目に住む庶民の暮しも確実に豊かにしている。
そんななか貧乏文士、茶川竜之介(吉岡秀隆)だけが相変らずぼさぼさ頭でむさ苦しい格好をしているのが笑わせる。ランニングシャツで外に出る。オリンピックの直前、町では「外国人に恥しいからランニングシャツで外を歩くのはやめましょう」とお達しがあったのだが(笑)。
世の中がどんどん明るく豊かになってゆくなか相変らずこの先生だけは「純文学」にこだわっている。昔ながらの駄菓子屋を営み、純文学では暮せないので少年誌に小説を書き続けている。
ここにだけまだ戦後が残っている。少年誌の小説は、新人作家が登場したため、次第に人気をなくしてゆく。
彼だけが新しい時代についてゆけない。きれいな奥さん(小雪)をもらってそれなりに幸せなのだが肝腎の小説で芽が出ない。豊かになってゆく三丁目のなかで、相変らず戦後をひきずって、時代から取り残されてゆく彼の存在が異彩を放っている。それは高度経済成長への無言の抵抗になっている。
※SAPIO2012年2月22日号