東日本大震災や東京電力福島第一原発事故をめぐる政府の会議で「議事録」がなかった問題が発覚し、政府は批判を浴びた。だが、東京新聞・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋氏は心配は無用と解説している。
* * *
朝日新聞は次のように批判している。
「信じられない。政権の怠慢である。(中略)緊急対応に追われた事故直後だけならまだしも、昨年5月に議事録の不備が明らかになったあとも、今日まで放置してきたとは、どういうことか」(1月26日付社説)
岡田克也副総理はあわてて「議事概要」を作るよう指示したが、普通の人は首をかしげるだろう。いくら記憶力が良くても、大震災から10か月以上も経って話を思い出せないのではないかと。そんな心配は無用である。議事録がなくても、もっと生々しい手書きのメモは残っているからだ。
官僚にとって、会議のメモをとるのはもっとも大事な仕事である。なぜメモをとるかといえば、役所に持ち帰って幹部たちと情報を共有するためだ。だれが何を言ったかをいち早く把握して、役所の失点につながるような話が出ていれば、直ちに必要な対応策を決めねばならない。
こんなことは官僚であればイロハのイであり、入省直後から骨の髄まで徹底的に染み込まされている。
官僚にとって議事録とは何かといえば、初めから「私たちは説明責任も果たしていますよ」という国民向けのポーズにすぎない。肝心かなめの議事メモは役所ごとにしっかり作成している。それを基に都合のいい言い訳作りとか、政治家たちへの根回し作業はとっくに終わっている。
官僚にとって大震災や原発事故対応の会議は「終わった話」であり、議事録作成などまったく余分な仕事どころか、墓穴を掘るような話なのだ。だから、問題化するまでほっかむりしていた。本質はそういう話である。
※週刊ポスト2012年2月24日号