かつて「100才の双子」として国民的人気を誇った「きんさんぎんさん」。現在蟹江ぎんさんの子どもである4姉妹は平均年齢93才。彼女たちにもマスコミからの出演依頼が殺到しているなど、母と同様人気者となっている。そんな4姉妹はどんな結婚生活を送ったのか。ライターの綾野まさる氏がレポートする。
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22才のぎんさんは農家の息子、蟹江園次郎さんとお見合い結婚。夫は5つ年上の27才だった。当時は新婚旅行なんて、夢のまた夢。甘い生活に酔う暇などまるでないまま、祝言の翌日から畑仕事。嫁であるぎんさんは、さっそく養蚕の仕事に、精を出さねばならなかった。
蟹江家は農業のかたわら養蚕をやり、繭を売っていた。そのため、初夏から夏の終わりごろまで、ふだん生活する部屋も蚕棚で埋め尽くされていた。
長女・年子さん(98才):「そいだで、寝るとこがのうなって、夏のあいだは庭にむしろを敷いて、蚊帳を吊って寝たもんだと。おっかさんが、よういうてござった」
五女・百合子さん(89才):「立派な繭をつくれば、それだけお金がはいって、暮らしがようなるで、人間より“お蚕さま”のほうが大事だったということだがね(笑い)」
いまのように農作業が機械化されていない当時は、猫の手も借りたい農家にとって、嫁は貴重な働き手だった。そんな日々を生きたぎんさんは、こんな言葉を遺している。
<わしらの時代の夫婦ってことを考えてみると、まず愛とか恋とか、そんなもんは二の次だがね。そう、昔はにゃあ、夫婦ちゅうんは、食っていくための、お互い戦友同士という感じだったがね>
三女・千多代さん(94)「へぇ、おっかさん、そんな立派なこといわしたかね。けど、そのとおりやな。いまの若い人たちにゃ、時代錯誤といわれるだろうが、私ら4人も、そういう思いでやってきただが」
園次郎さんと結婚したぎんさんは、翌年の1914年春、第1子を無事出産した。それが長女の年子さん。晴れて母親となったぎんさんだったが、少しばかり肩身が狭かった。というのも当時は、嫁はまずその家の跡継ぎ、つまり男児を産むことを求められたからである。
「ぎんや、次は男の子だぞ」
舅や姑から期待をかけられ、第2子を出産したが、髪の毛のふさふさした女の子だった(『栄』と命名されたが、3才で病気のため亡くなった)。
それから3年、29才のぎんさんは再びおめでたの兆候をみた。
「ぎんや、今度こそチンチンのある子だぞ、いいか」
姑の激励に、ぎんさんは大きくなったおなかをさすったが、3人目の赤ちゃんもオチンチンを忘れてきた。
「まぁた、女きゃあ? うちの嫁ときたら、いったい何を考えとるきゃあー。跡継ぎもつくれんで、ようも平気な顔しとらすなぁ」
姑の嫌みなものいいに、ぎんさんは体を小さくするしか術がなかった。だが、その次も女、また、その次も女の子……。
年子さん:「おっかさんは女腹だったがね。そいだで、おっかさんはもう開き直ったというてござった(笑い)」
4人の娘たちに囲まれて、母親、ぎんさんは“女系家族”に、誰がなんといおうとも、誇りを持とうと思ったのだった。
※女性セブン2012年2月23日号