日本だけではなく、世界のロイヤルファミリーにも「お世継ぎ問題」は存在する。各国の王室はこの問題をどのように乗り越えてきたのか。伝統も文化も違う海外と一様に比較することは難しいが、そこに日本の難題を考えるヒントが隠されているかもしれない。『お世継ぎ』(文春文庫)などの著書があり、日本の皇室や各国の王室事情に詳しい徳島文理大学・八幡和郎教授が解説する。
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1000年近い歴史を持つ英国王室では、1701年の王位継承法により「王位は、ジェームズ1世の孫娘であるハノーヴァー選帝侯妃ソフィアの直系で、かつ、プロテスタントである子孫に継承される」と定められた。現在約2000人の有資格者がいて、継承順位のルールが厳格に決められている。
そんな英国にも王位継承にまつわる悩みがある。現女王エリザベス2世の出生時(1926年)の継承順位は、伯父のエドワード皇太子(現ウィンザー公)、父のヨーク公に次いで第3位だった。10年後、祖父のジョージ5世が死去すると、皇太子がエドワード8世として即位した。
独身だった彼はアメリカ女性、ウォリス・シンプソンと恋に陥り、結婚しようとした。しかし彼女には離婚歴があり、しかも交際時は人妻だった。このため国民は猛反発。首相から退位を強く迫られ、在位日数わずか325日で国王の座を明け渡してしまった。
英国国教会は離婚を禁じており、「国王の恋」は到底許されることではなかったのである。急遽、弟のヨーク公がジョージ6世として即位、事態を収拾してエリザベス女王に王位をバトンタッチした。
英国王室で特徴的なのは、こうした王位継承についての柔軟性である。前出・エドワード8世の退位もそうだったし、国民に不人気なチャールズ皇太子を飛ばしての、ウィリアム王子の即位の可能性についての最近の議論もそうだ。継承者の資質や家庭状況など考慮し、国民の支持がなければ王位を継がせないという柔軟な発想がうかがえる。
ベルギーの王室も継承問題に悩んだ時期がある。前国王ボードゥワン1世は賢君として知られ、ファビオラ王妃の人望も高かった。しかし惜しいかな、二人には子供がなかった。となると推定相続人である皇太弟のアルベールが継ぐのが順序だが、前国王と年齢が近いうえ、醜聞が絶えないことから、国民から「国王不適格」のレッテルを貼られてしまった。
そこでアルベールの長男であるフィリップが後継者として浮上、ボードゥワンはフィリップを外遊に同伴するなど帝王教育に力を入れ始めた。しかし1993年、突然、病に倒れ、63歳で急逝してしまう。そうなると30代前半で独身だったフィリップは国王として未熟とみられ、年をとって素行の改まったアルベールに王位を託したのである。
皇太子となったフィリップは1999年の結婚を機に人気が高まり、4人の王子王女を授かった。独身のまま即位していたら、結婚が難しくなり、後継問題に支障が出たかもしれない。逆にボードゥワン国王がもう少し長生きをして、フィリップが適切な配偶者と結婚していれば、アルベールが王位を継ぐことはなかったはずである。
名君ボードゥワン亡き後を見据え、周到に準備し、国王の即位の順序を変えるという複線型の手を適切に打ったたことが功を奏したといえよう。
※SAPIO2012年2月22日号