米寿を迎えたいまも、多数の料理教室の生徒をかかえ、テレビや雑誌に引っ張りだこ。上品かつ軽妙な語りとともに和の家庭料理を伝える“登紀子ばぁば”こと、料理研究家の鈴木登紀子さん(88)。「いつ、じぃじが迎えにきても悔いはないの」と笑うばぁばが、遺していきたい料理の心、美しい女の作法――
* * *
まだ、ひとりで食事はできないの。じぃじ(夫・清佐さん。2009年10月逝去、享年92)の遺影にお膳をあげて、「今日はね…」と報告しながら、一緒にいただいています。いまも寂しくて、寂しくてねえ…。お献立を考えたり、お料理をしているときだけ、寂しくないの。
じぃじは本当に無口で、余計なことは口にしない人でした。そんなじぃじが、結婚して間もなくのころ、夜遅くまでせっせとおせちを作る私に、「(料理は)楽しいかい?」と、珍しく声をかけてきたのです。意外なことでしたからちょっとびっくりしましたわね。
でも、ああ、そんなに私は楽しそうにお料理しているのかと気づかせてくれたのは、このじぃじのひとこと。ずっと専業主婦だった私が、46才でいわゆる料理研究家としてお仕事を始められたのも、じぃじの無言の後押しがあったからだと思います。自分が先に逝っても、私が寂しくならないようにしておいてくれたのね。
だから私は、どんなときでも、どなたさまからも「おいしい」といっていただけるお料理をお出ししなくてはいけないと思っております。食べることは、生きること。とくにいまの時代、子供たちに何をどう食べさせるかは、大きな問題にもなっておりますね。
「私の料理が命を支えている」と思えば、どうして手抜きなどできましょうか。
私はつねづね、ふたりの娘や助手さん、お料理教室の生徒さんたちに「相手を思えば、思ってもらえるのよ」と話してきました。家族への思いやり、人さまへの気くばり。「情けは人のためならず」と申しますね。でも、「情けは人のためにならない」という意味ではございませんよ。相手を慮る心をもっていれば、やがて自分自身に生かされるということです。
最近では、「主婦の家事も仕事だ」と、お金に換算する風潮がありますけれど、思いやりを売り買いするなんて、とても悲しいこと。無償だからこそ尊く、美しいのです。「おいしい料理で喜ばせてあげたい」「体にいいものを食べさせたい」・大切な命を育むお料理は、もっとも深い無償の愛ではないかしら。
家族のためにせっせとお料理に励むあなたを、口には出さないかもしれませんが、ご主人や子供たちはちゃんと見ていますよ。女性の、おそらくはいちばん美しいその姿を、あなた自身にも見失わずにいてほしい。それがばぁばの願いです。
※女性セブン2012年3月1日号