韓国の情報機関・国家情報院(国情院)をめぐり、韓国で起こったある訴訟が、日本のインテリジェンス機関、そして大メディアを揺るがしている。
国情院の元職員A氏は昨年6月、北朝鮮工作員への機密情報漏洩により国情院を解任された。A氏はこれを不服として2月6日、ソウル行政裁判所に解任無効の訴えを起こした。訴状では、「正常な情報活動をするなかで、加工された情報が相手に渡っただけ。問題にされた情報は機密にあたるようなものではない」と主張している。
本来、国情院内部の問題であるこの訴訟が日本に波紋を呼んだのは、機密漏洩の現場が日本であり、そこにわが国のメディアが関与していたからだった。
A氏は2009年6月から朝鮮総連担当として在日韓国大使館に勤務。海上保安庁の調査官や日本メディアの記者と交流するなかで、自身が中井洽・国家公安委員長(当時)と会談する予定や、ファン・ジャンヨプ・元朝鮮労働党書記の来日予定などを海保調査官に伝えたという。中井氏は当時、拉致問題の責任者であり、ファン・ジャンヨプ氏は拉致関連の情報を握る重要人物とされていた。
これだけなら、通常の情報担当外交官の仕事に見える。が、国情院の調査によると、そうした外交情報が日本メディアの記者を通じて北朝鮮の工作員に渡ったというのである。
事実なら、日本の記者が北朝鮮のスパイ活動に加担していたことになる。韓国メディア最大手『朝鮮日報』が2月7日付でこのことを報じると、日本の情報機関、さらに一部のメディア関係者たちは大騒ぎになった。
とくに慌てふためいたのが、テレビ朝日だった。
件の『朝鮮日報』には、複数の記者を通じて機密漏洩が行なわれたと記されている。そのなかで唯一社名まで特定されたのが、テレビ朝日の記者だった。
〈2010年に北朝鮮が延坪島を砲撃した際、国情院元職員はテレビ朝日の記者に電話や携帯メールなどで『北朝鮮は軍事施設を狙ったと思う。ただし性能がよくなかったため、命中はしなかった』と述べた。この内容も北朝鮮工作員に伝えられたことがわかっている〉(『朝鮮日報』より)
報道を受けて日本の情報機関は、テレビ朝日記者の特定を急いだ。浮上したのは社会部記者のB氏だった。中堅の敏腕記者で、拉致問題を担当していた経験から、横田めぐみさんの両親ら拉致被害者家族とも親交があった。一方では、朝鮮総連に太いパイプを持ち、関係者としばしば連絡を取る姿が同僚記者らに目撃されている。ただし、それもジャーナリストとして何らおかしな行動ではない。
問題は、工作員への情報の横流しがあったかどうかである。
B氏のもとにはすぐさま関係各所から連絡が入ったが、B氏は疑惑を強く否定したとされる。
他局の報道記者が語る。
「報道後、テレ朝局内でも『彼のことだ』と話題になったそうだが、本人は『情報は流していない。誰かに嵌められた』と憤っていた」
B氏は本誌の取材に、「記事のことは知っていますが、国情院職員や北朝鮮の工作員、海保調査官については知らない。どこから私の名前が出たのか全くわかりません」と、伝えられる経緯を完全否定した。
確かに、B氏が国情院や元職員などによって嵌められた可能性はゼロではない。だが国情院が、日本人記者と北朝鮮工作員の関係を問題視し、身内の職員を解雇していたことも事実なのだ。
※週刊ポスト2012年3月2日号