今年は『古事記』が編纂されてから1300年の節目にあたるという。その上、「出雲大社」は来年、60年に一度の遷宮を迎える。日本の国家の起源を考え、その精神的な背景を確認する記念すべき年になるにちがいない。
出雲大社宮司の千家(せんげ)家が所蔵する『金輪御造営差図』は、古代本殿の姿がより具体的にわかる史料である。
この差図には、現状とほぼ同じ方形の平面に9本の柱が描かれているが、驚くべきことに、柱はそれぞれ3本の大木を金輪で束ね、太い1本の柱としている。そして入口前方に1町(約109メートル)の階段が付く。
建築史家の故・福山敏男博士はこの史料に早くから注目、平安時代の原図から書き写されたものと認め、高さ16丈、1町の階段の付いた高層神殿の復元図を発表した。が、専門家の多くは、金輪の柱という奇抜な工法が当時の技術で可能か、疑問視していた。
しかし大手建設会社の大林組は、福山博士を監修者としてプロジェクトチームを組み、『金輪御造営差図』に基づく本殿の復元プラン作成を目指した。建設会社のプロジェクトだけに、構造解析、資材、工法や建設費にいたるまでを検討、それによると、復元した本殿の工期は6年、総作業員数12万6700人、総工事費は121億8600万円である。大型のビルに相当する費用だという(『古代出雲大社の復元』1989年 学生社)。
2000年4月29日、新聞各紙は出雲大社の境内から古代の巨大な木柱が発見されたことを報じた。直径1メートルを超す杉の巨木3本が、束ねられて出てきた。幻だった金輪の柱の出現だ。同年10月にはさらに2組が発掘され、宇豆(うづ)柱(棟持柱)、心御(しんのみ)柱、南東側柱と判明した。平安時代の本殿跡だった。
※週刊ポスト2012年3月2日号