東日本大震災以来、天皇、皇后両陛下は幾度も被災地にお見舞いに向かわれた。今あらためて、お見舞いの際に両陛下と被災者の間に生まれた心温まる秘話を再現する。
5月11日、両陛下は福島県へ入られた。当時両陛下は福島県が原発事故による風評被害を受けていたことに心を痛め、訪問を強く希望されていた、と言われている。
両陛下は福島入りすると、まず福島市の、次いで相馬市の被災者をお見舞いされた。相馬市の中村第二小学校でお見舞いを受けた主婦の阿部千恵さん(35歳)は、今でも皇后から掛けていただいたお言葉が忘れられないと話す。皇后が、幼い息子2人と一緒にいた阿部さんのそばで正座をされ、「(地震、津波の時は)子供たちと一緒だったのですか」と質問された。阿部さんが「下の子は一緒にいたのですが、上の子は学校に行っていたので、捜しにいって連れて帰りました」と答えると、皇后は目に涙を浮かべるようにして、こう言われたという。
「子供たちを守ってくれてありがとう」
阿部さんが振り返る。
「私はその言葉を聞いてハッとしました。地震や津波の時には、ただ必死だっただけですが、皇后さまのお言葉を聞き、もっともっと子供を大切にしなければならない、もっともっと必死に子供を守らなければならない、と思うようになりました。そのことを皇后さまが気付かせてくださったのです」
同じく中村第二小学校でお見舞いを受けた菊池祥子さん(41歳)も、皇后に「忘れられないひと言」をもらったひとりだ。菊池さん一家の場合、夫婦も3人の子供も全員無事だったが、自宅も夫が経営する和食店も津波に呑まれた。小学校や保育園に子供を捜しにいった時、実は津波がほんの数メートル後ろまで迫っており、そのことを後で知ってゾッとしたという。
「一番下の6歳の娘に『これから天皇陛下と皇后さまがいらっしゃるのよ』と話したら、『あ~、わかる。日本の父と母ね』と言うので、どこで覚えたのだろうと驚きました」
菊池さんは両陛下のためにと座布団を2枚用意していたが、皇后だけが来られた。菊池さんが危機一髪で助かったことを話すと、皇后はこう言われたという。
「生きていてくれてありがとう」
菊池さんが振り返る。
「予想もしないお言葉だったので驚きました。ただ生きているというだけで感謝していただいたのです。実は当時は何もかも失ってしまったという喪失感があったのですが、皇后さまのお言葉により、“そうか、生きていること自体が大切なんだ”と思えるようになったのです」
※SAPIO2012年2月22日号