社員数3万8000人、売上高5兆円。巨大企業・東京電力の社員たちは、あの日を境に、「電気の供給」という仕事に加え、「原発事故の処理」「巨額の賠償」という大きな責任を背負った。東電社員はこの1年、何を見て、何をして、何を感じてきたのか。そもそもあの悲劇は、なぜ起きたと考えているのか、都内支社で法人営業グループに在籍する40代社員に話を聞いた。
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正直言って、事故前までは楽をしていたんだと思います。法人営業は、顧客の企業を訪ねて、「オール電化にすればこれだけエネルギーコストが安くなります」と提案する仕事。でも、数値目標はあってないようなものでした。
地震当日は、職場で書類をまとめていました。直後は原発をあんな津波が襲うなんて思い至らなかったのですが、ひとつ、忘れられないことがあります。
我々は、パソコンで「電力需要曲線」が見られます。電力の需要を示すグラフなのですが、それが地震直後の14時48分ごろから、まるで滝のようにストンと落ちていたのです。ざっと、35%くらいの電力需要が消えてなくなっていました。簡単に言えば、それだけ電線が途中で切れたり、建物がダメージを受けるなどして、電力需要がなくなったことを示していました。
私たちは、電気の消費は“人類の営み”そのものだと教わってきています。それが、3割減った。ビルや家屋がどれほど倒壊したのか……と想像して、鳥肌が立ちました。
私はその後、別の支社の法人営業へと応援に行って、計画停電の説明に携わりました。他の部署の社員は会社に何日も泊まり込み、スーツや作業着がボロボロになっていましたが、私が向き合うのはあくまで法人の顧客で、3.11以前と変わりませんでしたから、恵まれていたと思います。
後輩に、個人顧客への営業を担当していた男がいますが、彼は4月に福島の補償相談センターに異動しました。仮払いさえも始まっておらず「怒鳴られるばかりの毎日です」と嘆いていました。
事故の原因については、社員個人個人で思いはあるでしょう。ただ、社内では口が裂けても言えませんが、私は原子力部門の怠慢、驕りだったと思います。外部から見れば、「安全神話をいまだに信じているのは東電だけ」と見えるかもしれませんが、実際は「東電の上層部と原子力部門だけ」じゃないかと思います。
安定供給という面からは原子力にメリットがありますが、もう世論は安易な再稼働を許さないでしょう。その現実が、上層部には見えていないですね。営業の社員としては、さっさと責任をとって上層部に辞めてもらって、原発も徐々になくす方向を打ち出すべきだと思います。
※SAPIO2012年3月14日号