昨年12月、北朝鮮の最高指導者・金正日がこの世を去った。彼をよく知る朝鮮労働党の幹部・仮称「ミスター・キム」によれば、金正日は死の直前、「たびたび父・金日成が夢に出てきて、私にたくさんのお金を手渡す」という“悪夢”を見ていたそうだが、現実の世界では、死亡する直前、金正日を苦しめたのが、北アフリカと中東地域の民主化運動「アラブの春」、そして、そのリビアへの波及だった。当時の状況を、ジャーナリストの新村住人氏がリポートする。
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リビアと北朝鮮の両国は軍事協力を含む親善協力同盟条約を結んだ友好国だった。しかしながら厳しい言論統制で監視社会を築いたリビアは昨年2月、政権と反体制派との間で内戦に突入。8月には約42年間続いたカダフィ政権が崩壊した。
労働新聞は昨年9月29日、「かつて反米自主を叫んだある国は帝国主義者らに対する幻想と恐怖にとらわれ、数十年間苦労して築いた国防力を自らの手で破壊する愚かなまねをした」と記した。2003年に核放棄の宣言と交換に米国など西側諸国と関係正常化を果たすものの、政権崩壊に到ったリビアを暗に批判した内容だ。
そして、昨年10月20日。逃亡していたカダフィ大佐は出身地シルト近くの戦闘で負傷して捕まり、殺害された。血みどろとなったカダフィの映像は、動画サイトで全世界に流れ、金正日も、カダフィの無惨な最期を目の当たりにしたに違いない。そして11月半ばに、ミスター・キムから次のような報告が届いた。
「リビアの政権が崩壊し、カダフィが殺された影響だ。将軍様の精神状態が日に日に悪くなっている。時々、放心状態になり、指導力が衰えている」
中朝を行き来する仲介役はこの報告に加え、「北の様子を注意深く見ておいた方がいい」と付言していた。
カダフィ死亡前後から、北朝鮮のメディアでは、確かに青年の思想統制を強化すべきだとする主張が目立つようになっていた。韓国の聯合ニュースは10月下旬、北朝鮮が出稼ぎなどでリビアに滞在している自国民の帰国禁止措置を取った、と報道。北朝鮮当局が、リビアの政変が国内へ伝わるのを防ごうとした措置であろう。
ミスター・キムからの報告は、国内の慢性的な経済難と「アラブの春」が晩年の金正日の心身を蝕み、死亡を早めたことをうかがわせる。
アラブの政変の背景には、失業した青年層の不満の高まりがあった。一方、北朝鮮では食糧不足に苦しむ住民の不満が爆発寸前の状況にあるとされる。北朝鮮からの報道には、前途多難な北朝鮮の舵を握る正恩について「心優しい人民思いの指導者」であることの演出が目立つ。こわもてだった父親の金正日とは対照的だ。
朝鮮中央通信は2月15日、正恩が金正日の誕生日に合わせ、離島の子供たちに贈り物を届けるよう指示した、と伝えている。中朝関係筋によると、軍糧米を崩して地方の住民に配給したという情報もある。だが、韓国の国家情報院関係者の見方は冷静だった。
「短期的な住民のご機嫌取りはすぐに行き詰まる。経済を回復させる根本的な策を打たないと、新体制は早晩ぐらつくだろう」
金正日が脅えた二つの悪夢――。父とは違ってカダフィ大佐の末路に息子が陥る可能性は排除できない。
※週刊ポスト2012年3月9日号