あの日のことは忘れない。でも振り返らない。今は一歩一歩進んでいく。家族のために自分のために――。被災地の人は今、どんな生活をしているのだろうか。
昨年12月24日、クリスマスケーキが宮古市の仮設住宅に住む佐藤佳子さん(仮名・70)に届いた。ケーキを注文した覚えのなかった佐藤さんが注文主の欄を見ると、そこには1か月前に突然亡くなった息子・雄輔さん(仮名・享年44)の名前が記されていた――。
佐藤さんは東日本大震災の津波で自宅を失い、その少し後には漁師をしていた夫を病気で失った。そして11月25日、佐藤さん宅に雄輔さんが勤めるバス会社から1本の電話が入る。
「6時に出社するはずの雄輔さんの姿がない」
胸騒ぎがして隣の部屋を開けると、既に冷たくなった雄輔さんの姿があった。
亡くなる少し前から、「もうダメだ」「疲れた」とこぼしていたという雄輔さん。慣れない仮設住宅暮らしは雄輔さんの体を、少しずつ蝕んでいたのである。夫に先立たれ、最愛の息子を失った佐藤さんのショックは大きかった。
「辛い……寂しい……津波で全部持って行かれた」
離れて暮らす娘がいるものの、いつも側にいた息子の突然の死に、佐藤さんの表情は暗くなり、口数は少なくなっていった。
クリスマスケーキが佐藤さんに届いたのはそんな時だった。12月以来、何度も佐藤さんを訪ねている『たかはしメンタルクリニック』の高橋幸成医師が語る。
「12月末に佐藤さんの仮設住宅を訪ねたところ、『息子からケーキが届いたんです』と話してくれました。ご本人は肩と腰に痛みを抱えていたので、私が冷凍庫からケーキを取り出した。佐藤さんが蓋を開けて、見せてくれました。
ケーキの話をして下さったのは、ため込んだ感情を吐き出してくれたということだと思いますが、私はあまりにせつなくて『息子さんを思い出して食べてね』というのが精一杯でした」
母親を驚かすプレゼントのつもりだったのだろう、死の直前にこっそり予約したらしいそれは、直径25センチほどもある大きなアイスのチョコレートケーキだった。それが、まさかこんな形で母を驚かすことになろうとは……。
2月19日にも仮設住宅を訪れた高橋医師に、佐藤さんは打ち明けた。
「少しずつ少しずつ食べていて、まだ冷凍庫にあるんですよ」
ケーキを食べるたびに感じる雄輔さんの優しさ。それが佐藤さんの心を支えているのだろう。仮設住宅の表札には今も佐藤さんと息子の名前が書かれている。
※週刊ポスト2012年3月9日号