<近所の日本人たちと一緒に暮らした避難所の生活は、様々な人たちから助けてもらった私にとっては一生忘れられない時間でした。大勢の人が避難している避難所で、寝るところが狭かった私に自分の場所を譲ってくれたおばちゃん(中略)さまざまな人々に本当に心から感謝しています>
ややたどたどしさの残る日本語で綴られたこの文章、『ワタシタチの3・11』と題された留学生40人の作文集のなかの一節である。編纂した仙台国際日本語学校では年3回程度行なってきた避難訓練の成果で全員が無事だった。当日登校していなかった学生も、教師や職員が手分けして避難所などを回り、無事を確認した。
そして4月から約2か月かけて留学生から作文を集め、昨年12月に発行。同校の遠藤和彦主任がいう。
「明らかな間違い以外は手直ししないでそのまま掲載することにしました。稚拙かもしれないが、どこか温かみのある文章は、彼ら自身の優しさやたくましさ、彼らが感じた日本人の思いやりからくるものではないでしょうか」
震災後、日本を去った外国人は多いが、作文を寄せた留学生の多くは日本に残った。
メキシコ人留学生のドミンゴ・ヴィヤミルさんもそのひとり。
「メキシコ大使館から航空券を渡すからメキシコに帰りなさいといわれましたが、ボランティアとして通っていた孤児院のことや学校での勉強を考えて日本に残りました。みんなに優しくしてもらって自分も手伝いたいと思ったんです」
ドミンゴさんは作文でも次のように書いている。
<私は日本人に感心しました! 本当に日本は皆で一緒に頑張りましたね! 今も頑張ります!(中略)日本語がへたですけど、少し仕事はできますね! それなのでボランティアをしています>
中国人留学生・崔春香さんは、一時帰国したものの再び仙台に戻ってきた。
<先生がガスや水、食べ物など、生活に欠けてはいけない物を持ってきた。これほど有り難いことはない。とても感動した。(中略)両親から「今度こそ日本には行かせない」と散々反対された。正直に言うと私は、日本語学校のブログを見て、再入国することを決めた。相変わらず頑張っている先生たち、いつも学生のために第一線を走っている先生たちを見て感動したのだ>
文集には留学生の「感謝の気持ち」と「日本への想い」がつまっている。
※週刊ポスト2012年3月9日号