週刊ポストの連載「復興の書店」では、これまで被災地の書店や「移動書店」などの取り組み、地元出版社や被災した製紙工場を断続的に取材してきた。しかしその一方、沿岸部で津波被害に遭い、店舗そのものが流失してしまった書店では、再開しようにも長い時間と準備が必要だった。
震災から一年が過ぎようとしているいま、それでも「書店」を続けようとしてきた彼らは何を思い、どう行動してきたのだろうか。テントでの営業、プレハブの仮設商店街、新しい店舗での再開……。様々な場所で新たな店を作り、一から棚に「本」を並べ始めた人々のもとを、ノンフィクション作家の稲泉連氏が訪ねた。
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──宮城県気仙沼市。
市街地に向かう途中の県道沿いに、宮脇書店気仙沼店の新しい店舗「気仙沼本郷店」が完成したのは昨年一二月一三日のことだった。それからの準備を経て、同店がオープンしたのは二四日。建物には〈本ならなんでもそろう〉と書かれ、各々に楽器を持った動物たちの可愛らしい看板が掲げられている。
そのデザインは市街地で骨組みを残して流失した店のものと全く同じであるため、以前から同店を利用してきた人々からは「昔に毎日見ていた風景が甦ったみたいだ」という声も聞かれた。
昨年の五月以降、親会社である三菱自動車の販売店の横で、同店は週末に「青空書店」を開いてきた。取次のトーハンの協力を得て、テントの中に作られた仮設の小さな店舗には、当初多くのお客が詰め掛けた時期もあった。
「でも──」と店長の小野寺徳行さんは言う。
「肌寒くなった頃になると、お客さんも少なくなった。毎週広告を出し、話題の本や新刊の売れ筋を揃えても、お客さんがどんどん離れていくんです。やっぱりテントでは限界があるのかな、とずっと不安に思いながら続けてきたのが現状でした」
家を失い、避難所や仮設住宅から店に通ってきた彼は、ときどき街のショッピングモールの中にある書店を訪れてみることがあった。そこでは人出も多く、彼は徐々に客足が鈍っている青空書店の状況を思い、何とも言えない悔しさを覚えた。
「何もできない自分に腹が立って、店舗が欲しいと心から思いました」
同店を経営する千田満穂さんと紘子さん夫妻は、震災当初から書店の再開に強い意志を抱いてきた。だが仮設店舗での営業再開については、方針が二転三転していた。当初予定していたプレハブでの再開を止め、新しい店舗を建てることを決めた後、施工が開始されたのは一〇月に入ってからとなった。
「業者さんからは無理だと言われたのですが、どうにか急いでもらって一二月二四日のオープンに間に合わせたんです」と紘子さんは振り返る。
「実は私たちのお店がオープンしたのは平成九年の一二月二五日なんです。『復興を一日でも早く』という思いを込めて、前日までにはオープンしたかった」
もう少しだね、これは本屋さんだよね──。彼女が工事現場の前にいると、建設途中の建物を見て道行く人々が声をかけてきた。そうして迎えたオープンの日、店にはクリスマスの恒例だったアンパンマンのきぐるみが用意され、昨年と同様に子供たちがそれを見るために集まった。以前に働いていたスタッフも再雇用され、彼女たちは開店前の店内で再会を喜んだ。床面積は以前の三〇〇坪から三分の一に減ったものの、初日には一〇六〇人のお客が訪れたという。
※週刊ポスト2012年3月9日号