「震災以降、日々原発のニュースが流れてきて、“どこに気持ちを落ち着けたらいいのだろう”という生活がずっと続いています。どんなに考えても答えは出なくて、『この世界は無常なんだ』と、ひたすら自分を納得させる毎日です」
昨夏に本誌週刊ポストのグラビアを飾った際、故郷の福島を思う苦しい胸の内を明かしていた、フリーキャスターの唐橋ユミ(37)。
東日本大震災から1年の節目に彼女は何を思うのだろうか――。
「被災地の瓦礫が撤去される前後を見比べると、この1年は早かったなと思います。ですが福島に関しては、景色はそんなに変わらないところでも、取り巻く環境は原発事故で一変してしまいました。収束宣言が出されても原子炉は不安定な状態が続いていて、完全な収束はまだ先でしょう。時の流れがスローに感じて、もどかしくてなりません」(唐橋=以下同)
震災当日は都内で地下鉄を利用しており、駅のホームに降り立つ瞬間に激しい揺れに襲われたという。大波にさらわれた小舟に乗っているような恐怖を覚え、とっさに脳裏をよぎったのは、福島に暮らす家族や友人の顔だった。
地元の喜多方市は比較的被害が少なく、実家の造り酒屋「ほまれ酒造」も実質的な被害は少なかったが、5月上旬にようやく福島へ戻ると被害の大きさに言葉を失ったという。
「巨大水槽を誇る『アクアマリンふくしま』は水槽が割れ、あんなにたくさんいた魚が全部いなくなって、館内が砂だらけになっていました。地元の方々の話も忘れられません。子供を持つ40代の男性は、『放射能は安全だか、危険だか、わからないことばかり。ただひとつわかっているのは、“死ぬまでつきあっていくんだ”ということだ』と、話されていました」
テレビ番組『サンデーモーニング』(TBS系)のスポーツキャスターを務める一方で、パーソナリティも務める彼女は、ラジオ番組『吉田照美ソコダイジナトコ』(文化放送)で、震災について語ってきた。この震災ほど「マイクが恋しいと思ったことはなかった」という。正確な情報を、迅速にリスナーに届けたい――。現地で取材をするジャーナリストにヒヤリングをし、震災直後から被災地の生の声を伝えてきた。
「早い段階から現地でガイガーカウンターが振り切れた話などを伝えていたので、当初は『煽らないでほしい』とか『ラジオを聴かなくなった』という反発もありました。私自身福島の人間なので、葛藤はあったんです。でも徐々に現地で取材する方々の証言が正しいとわかってきて、直視するようになった。情報が開示されていくとリスナーも戻ってきてくれました」
撮影■樂満直城
※週刊ポスト2012年3月9日号