週刊ポストの連載「復興の書店」では、これまで被災地の書店や「移動書店」などの取り組み、地元出版社や被災した製紙工場を断続的に取材してきた。しかしその一方、沿岸部で津波被害に遭い、店舗そのものが流失してしまった書店では、再開しようにも長い時間と準備が必要だった。
震災から一年が過ぎようとしているいま、それでも「書店」を続けようとしてきた彼らは何を思い、どう行動してきたのだろうか。テントでの営業、プレハブの仮設商店街、新しい店舗での再開……。様々な場所で新たな店を作り、一から棚に「本」を並べ始めた人々のもとを、ノンフィクション作家の稲泉連氏が訪ねた。
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福島第一原発から二〇km圏内の手前に南相馬市街地がある。街の中心部に店を構える「おおうち書店」の店主・大内一俊さんもまた、街で書店を続けることを決めた一人だ。
大内さんが南相馬市で書店を続けようと思ったのは、同市が屋内退避を指示されていた三月中のことだ。ガソリンスタンドに徹夜して並んで燃料を給油し、店内を片付けるために山形から南相馬市に通った。街には自衛隊の車両が並ぶ一方、住民の姿は見られない。鎖を解かれた犬が、人気のない道を走りまわっていた。
ところが店のシャッターを開け、床に散らばった本や雑誌を棚に戻していると、街から避難しなかった人々が少しずつ集まってくるのだった。「書店が開いている」という情報は口コミで広がり、しばらくすると店の前には車の列ができた。丁字屋書店の二人がそうであったように、彼もその様子を見て「やはり店を開かなければ」と決心したと振り返る。
「新しい雑誌は入ってないのだけれど、それでも店が開いていることをとても感謝されてね。二度と商売ができないんじゃないかと諦めかけていたから、もう一度できるのかもしれないと思ったら嬉しくて……。戻って来ようと決めたら、かえって気持ちが楽になったんです」
これまで二〇〇人はいた常連客の数は四分の一ほどに減り、若い女性や子供の多くが避難したことで、女性誌やファッション誌、『りぼん』や『フレンド』といった子供向けの雑誌が目に見えて売れなくなった。一方で売れるようになったのは地図だ。浪江町や双葉町からの避難者が、南相馬市での生活のために買い求めていくからである。
そして彼が何とも言いようのない気持ちになるのは、お客の数が減っているにもかかわらず、書店の売り上げそのものは伸びていることである。
「他に開いている店がないですし、それに東電からの賠償金があるからでしょう、震災前に比べて売れる本の単価が高くなり、これまで一冊の週刊誌を買っていた方が三冊買っていくようになったんです」
店舗には「トミカ」のミニカーの棚が置かれている。避難先から仕事や用事があって街に戻ってきた人々が、子供のお土産にと絵本やそれらのミニカーを買い求めることも多いという。彼らは「あっちには本屋がないんだ」と言って遠い避難先へと帰っていく。
※週刊ポスト2012年3月9日号