早稲田大学ソフトボール部出身のルーキー、北海道日本ハムファイターズの大嶋匠に注目が集まっている。どのような経緯を辿り、彼はドラフト会議で指名されたのか? ノンフィクション・ライターの柳川悠二氏が、異色ルーキーを追った。
* * *
昨秋10月27日のドラフト会議からさかのぼること6か月、4月6日に日ハムのスカウトディレクター・大渕隆は、早稲田大学ソフトボール部監督の吉村正に請われて、初めて大嶋を視察した。
大渕はすぐに社会人野球・セガサミーに連絡を入れて大嶋の練習参加を手配する。そして5日後の11日、社会人投手のボールを軽々打ち返す大嶋を視た大渕は吉村にこう告げた。「他の球団には内緒にしてもらえますか?」大渕は情報が漏洩して他球団が獲得に動くことを恐れた。それほどプロ野球界で大嶋はノーマークの存在であり、プロスカウトの目には逸材に映った。
もし大嶋が野球部所属の選手ならば、こういった形での接触はプロアマ規定に抵触する行為で御法度だ。しかし、大嶋はソフトボール部の所属であり、問題はない。大嶋にしてみれば就職活動の一環であり、大渕にしてみればドラフト指名に向けた一次テストのような初接触だった。吉村が初めて明かす。
「日ハムは当時の梨田昌孝監督が捕手出身。しかも本拠地が北海道で、開拓精神の根付いた土地柄が、ソフトボールから野球に挑戦する大嶋にはふさわしいと思ったんです。ただし育成枠での指名であれば、お断りするつもりでした。私の大事な学生を、(育成選手の最低年俸)240万円で行かせるわけがありません」
吉村は、大嶋が入部してきた時点で、将来はプロ野球選手として送りだそうと心に秘めていた。
「私にとって、それは悲願だった。これまでも能力のある選手はいましたが、いずれも硬式野球あがりの選手。ソフトボール一筋というのは、大嶋だけです。ソフトボールをやる男子は、野球を断念した選手が多いし、年配の方の中には『女子のやるスポーツをやるなんて』と馬鹿にされた経験を持つ人が多い。そういう人たちに大嶋は夢を与えて欲しかった」
※週刊ポスト2012年3月16日号