東日本大震災、そして福島原発事故からまもなく1年。原発事故では海外メディアは「フクシマ50」と名付け、現場に残った作業員の勇気と行動を称賛した。そんなフクシマ50の一人に、事故当時を振り返ってもらった。
自らの選択で原発を去った「フクシマ50」がいる。20代の下請け会社社員が胸の内を明かす。
「地元の高校を卒業した後に、東電の下請け会社に就職しましたが、去年の秋に辞めました。正直、被曝が怖くなったので……。今は防水関係の会社で働いています。事故が起きた後、神奈川県の親戚のところに身を寄せていた前の会社の同僚も、会社から『戻ってきてほしい』と頼まれて、断わったと聞いています」
国内外から“英雄”として扱われた彼らにも当然のことながら恐怖心がある。
「事故直後の現場では、20人ほどの作業チームに入りました。放射線量の高い原子炉建屋には入らず、周辺のタービン建屋や中央制御室がある建屋での作業が多かったです。
それでも、作業をしている間に原子炉建屋から煙みたいなものが出ているのが見えると、すぐに緊急退避を指示される。退避している時には、何が起きているかわかりません。その度に、焦りや不安が募って、精神を削られる思いでした」
環境も苛酷だった。現場に入った当初は、原発の敷地内で寝泊まりをし、食事は乾パンとジュースだけ。
「10日ほどその状況が続いたあと、小名浜港に入ってきた航海練習船『海王丸』に仮宿泊所ができました。船内でカレーが出されたのですが、カレーがあんなに美味しいと感じたのは、生まれて初めてでした。久しぶりに風呂に入ったら、作業でクタクタだったので、みんなすぐに寝てた。僕は、その頃は家族や彼女のことばかり考えていました」
この20代作業員は、もう原発での作業に戻るつもりはない、と言い切る。
※SAPIO2012年3月14日号