あれから1年が経った。現在、死者・行方不明者合わせ1万9130人。全壊した建物は12万8582棟。被災3県の仮設住宅は5万2593戸にのぼる(2月29日現在)。
津波の直撃を受けた地域は、多くの場所で瓦礫が撤去されたが、いまだのっぺらぼうの地肌を晒す。政府は復興に向け12兆円の予算を組んだものの、「元通りになんのはあと10年はかかるわな」と、漁船を流された福島県いわき市の50代の漁師は嘆息する。
本格的な復興はこれからだ。人々は試行錯誤しながらも、生きるための工夫を始めている。宮城県気仙沼市では、人々が集う仮設商店街ができた。名称は「復幸マルシェ」。また、岩手県釜石市では仮設住宅の飲み屋街「呑兵衛横丁」が毎夜、大繁盛だ。
釜石市の郵便配達員・鳥屋部絢香(20)さんが語る。
「信号も復旧していない3月18日から配達を再開しました。配達量は震災前に比べて4割ほどですが、仮設住まいの方々へ、今日も全国から手紙が届いていますよ」
郷里を離れた息子からの写真、被災地での息子の成長を綴った手紙など、人と人のつながりが生きる希望になっている。 決して一人ではない。被災地の風景は少しずつ、しかし確実に変わっている。
写真は昨年10月12日に撮影された釜石市で座礁した「アジアシンフォニー号」(4724トン)。その後、クレーン船「洋翔」によって海に戻された。鳥屋部さんは1日おきに午後2時頃、この海岸沿いの道を通り、便りを届けている。
撮影■片野田斉
※週刊ポスト2012年3月16日号