3.11から1年。復興のための課題はなお山積している。作家で元外務相主任分析官の佐藤優氏は、底力を発揮する国民に比べ、最も欠けているのは日本のエリート層の力だという。以下は、佐藤氏の解説である。
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2011年3月11日の東日本大震災から丸一年を迎えた。この機会に、われわれ日本人は、国家と民族の危機について、真剣に考えなくてはならない。
ギリシア語で、時間を表わす表現が2つある。1つ目は、クロノスで、日々流れていく時間を指す。これに対して、ある出来事を境に、その前と後で、歴史に断絶が生じる時間をカイロスという。英語では、タイミングと訳される。
例えば、1945年8月14日は、日本人にとって大東亜戦争敗北を意味するカイロスだ。その前と後とで、日本は質的に変化したのである。もっともこのような歴史的出来事だけではないカイロスもある。例えば、初めて恋人とデートをした日、入学試験に合格した日も、それぞれの個人が持つカイロスだ。失恋や、仕事で大きなミスを犯した日もカイロスである。
例えば、2002年5月14日は、大多数の読者にとってはただの火曜日であろうが、筆者にとってはカイロスだ。なぜなら、この日、筆者は東京地方検察庁特別捜査部によって逮捕されたからだ。この日を境に筆者はこれまでとまったく違う人生を送ることを余儀なくされた。
2011年3月11日というカイロスを、日本人はしっかり受け止めている。津波による大被害、福島第一原発事故に遭遇したにもかかわらず、日本人は暴動を起こさず、自暴自棄にもならず、団結した。
普通の国民が危機に耐え、それを克服する底力を発揮したにもかかわらず、政治家や官僚、さらに有識者が、危機を克服するために全力を尽くしているとは言えない。これらエリートも、主観的には全力を尽くしているのであろう。しかし、それが十分な力にはなっていない。
※SAPIO2012年3月14日号