自らを「うるさいハエ程度のものかもしれない」と山本太郎(37)はいう。しかし、その信念は熱くゆるぎない。「生きるっていうのは最低限の権利じゃないですか。3.11以降、政府がそれさえも担保してくれないことがわかった。だったらそれを変えていかないと」――俳優という仕事を横に置いてまで突き進むその姿勢は、女手ひとつで育ててくれた母の教えの賜物だった。
「うちは物心ついたときから父親がいませんでした」
ペルシャ絨毯の輸入業で生計を立て、山本とふたりの姉の2女1男を女手ひとつで育て上げた母・乃布子さん(66才)は、エネルギッシュで豪快な性格だった。山本が幼少期をこう振り返る。
「とにかくパワフルで正義感が強いんですよ。時には布団叩きで何度もお尻をぶたれることもありました。姉とぼくは小さいときから“すべての弱い人には手を差し伸べなさい”とうるさくいわれて育ちました」
そして、3.11は起きた。
「当初、母は『仕事も(脱原発)活動もバランスよくうまくやりなさい』といっていたんですよ。両立させられたらいいねと。でも、一歩踏み出してからは『信念を貫きなさい』に変わりました」
「後悔はしていない」と、山本はいう。だが、事務所を離れ、一匹狼となった彼の生活は一変した。
収入はかつての10分の1までに落ち込んだ。予想はしていたものの、現実を目の当たりにするとやはり気弱になった。まして、これからの人生をともに歩もうとしていた恋人に対しては、男としての不甲斐なさが日に日に募る一方だった。
「1年ほど交際していた女性でした。3.11以降、ずっとぼくを支えてくれたのも彼女だったんです。脱原発活動を始めたばかりのころ、『これからは仕事が減るかもしれない』と話したら、彼女、『自分が働いて食べさせる』とまでいってくれて…。でも、それも男として情けないですよね。
それに、はっきりいって、いまのぼくの存在は“うるさいハエ”のようなもの。いつ原発推進派に叩き落とされるかわからないし、逮捕だの起訴だのという事態にもなりかねない(実際に山本は昨年9月、佐賀県庁での抗議活動について建造物侵入などで刑事告発されている。同12月に不起訴が確定)。そこに彼女の人生を巻き込むことだけは避けたかったんです」
話し合いの結果、昨年7月にふたりは別れた。
「もしかしたらほかにもっとよい解決策があったのかもしれません。でも、あのときのぼくにとってはそれがベストチョイスだった」
そういうと、山本はまるで自分自身にいい聞かせるかのように、大きくうなずき、そして再び話しはじめた。
「なぜ、ぼくがこうした運動をしているのか。それはごくごくシンプルな理由。すべては“生きたいから”なんです。人生、嬉しいことも嫌なこともあるかもしれないけど、それを感じられるのも、生きていられるからでしょう。せめて、その最低限の権利を守りたいと思うんです」
※女性セブン2012年3月22日号